<「あしたのジョー」は誰のもの?>割腹前の三島由紀夫が知りたがった「あしたのジョー」の最終回


柴川淳一[郷土史家]

***

梶原一騎(漫画原作者・1936〜1987)が高森朝雄のペンネームで「あしたのジョー」(少年マガジン・1968〜1973)を連載し始めた時、高校生だった筆者は「巨人の星」や「柔道一直線」、「タイガーマスク」と異なるタイプの主人公の登場に戸惑いながらも、惹き付けられて行った。

主人公のジョーは不良で表情は憂いに満ちていた。顔付きはどう見ても「ハリスの旋風の石田国松」だが長身痩躯、やけに長いリーチが拳闘漫画の始まりを暗示していた。それが丹下段平、力石徹、白木葉子と言った登場人物達と巡り合い、激しく衝突し合って、物語がいきいきと展開して行く。

漫画の中に描かれたことなのに、いつしか登場人物が読者の現実世界でいきいきと動き始めたかのようだった。ジョーのライバルの力石徹は壮絶な減量苦を克服し、階級を下げ、バンタム級でジョーとの死闘を繰り広げ試合には勝つが、リングを降りた直後、亡くなってしまう。

作画を担当していた漫画家ちばてつやも、力石の死のシーンを描き終えた後、スランプとも心因性の病とも判明しない症状で入院休載してしまう。

やがて復帰したちばてつやは、まるでわが子の悲しい死を克服した強い父親のようだった。画力は冴え渡り、高森朝雄の原作ストーリーも「ジョーが生きて魂を宿して作者達を引っ張って行く」と言われるほどセンセーショナルな展開でストーリーは動いた。

今では伝説となった力石徹の葬儀だが、講談社は実際に葬儀会場を設営し、全国から多数の読者が参列した。昭和45年3月のことだった。

余談ながら「あしたのジョー」はテレビアニメでは昭和44年から虫プロ制作のフジテレビ系列で、昭和55年から東京ムービー制作の日本テレビ系列で放送されている。この物語がいかに多くの人の共感を得たかの証である。

共感と言えば忘れてならないエピソードがある。昭和45年11月25日に市ヶ谷で割腹自殺した作家・三島由紀夫(1925〜1970)は「あしたのジョー」の最終回を知りたがったと言う。

三島由紀夫に関しては、講談社の編集者に「僕は毎週水曜日に少年マガジンを買う」と語った話とか、夜中に編集部にタクシーで乗り着け「今週号を買いそびれたので売って欲しい」とねだった話とか、市ヶ谷突入前日に「最終回はどうなるか? 教えてください。私には時間がない」と語った等と伝えられている。

真偽のほどは分からない。しかし、それらのいずれもが本当であっても不思議ではない。

よど号をハイジャックし、北朝鮮に逃亡した赤軍派は「われわれは『あしたのジョー』である」という声明を発表した。世間の大人達は「何を唐突な!」「犯罪者の幼稚な妄想!」と切って棄てた。それほどこの物語は日本の社会に多大な影響を与えた。

三島由紀夫が知りたがったラストシーン。世界戦に判定負けし「燃え尽きて真っ白な灰になったジョー」が生きているのか、もう死んでしまったのか? 故人となった高森朝雄氏に確かめることはできない。

ちばてつや氏は「私には分からない」と述べている。 ただ、

「この物語は原作者のものでも、漫画家のものでも、ありません。読者のものです。読者一人々にとって感じ方は異なっていると思う。」

と語っている。

 

 【あわせて読みたい】

The following two tabs change content below.

柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。