三島由紀夫は手塚治虫と白土三平を買わず、赤塚不二夫を絶賛している。


柴川淳一[郷土史家]

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日本を代表する小説家をひとり挙げろと言われれば、筆者は迷わず三島由紀夫と言う。小説や文学に無知な筆者がそう言っても否定する人は少ないと思う。

つい最近、筆者は三島由紀夫が大変古くからの漫画ファンであったという事を知った。 評論家の平岡正明氏が「昭和マンガ家伝説」(平凡社新書)の中で次のように書いている。

「三島由紀夫は手塚治虫と白土三平を買わず、赤塚不二夫を絶賛している。」

そして、三島の言葉を引用している。

「いつのころからか、私(三島)は自分の小学生の娘や息子と少年週刊誌をうばいあって読むやうになった。「モーレツ・ア・太郎」は毎号欠かしたことなく、わたしは猫のニャロメと毛虫のケムンパスと奇怪な生物ベシのファンである。このナンセンスは徹底的で、かつ時代物劇画に私が求めていた破壊主義と共通する点がある。(三島は劇画家平田弘史のファンで戦後アメ横で平田弘史の貸本屋向けの時代物劇画を求め捜し歩いたと告白している。)……(中略)……今の若者は手塚治虫や水木しげるのかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。「モーレツ・ア・太郎」のスラップスティックを喜ぶ精神と相反するではないか。」(仮名遣い作品名表示は原文のまま。)

筆者が初めて三島由紀夫の小説に触れたのは小学生向けの学習雑誌の付録についていた「剣」(1963)という短編であった。それから、「潮騒」(1954)、「憂国」(1961)、「金閣寺」(1956)と続けて読んだ。中学に入って新潮文庫のリストに載っている作品は全て読んだ。子供にとって理解できない表現がほとんどであったが構わず読み続けた。

中学の時、「豊饒の海・四部作」がスタートした。第一巻「春の雪」が難解で挫折した。ついに読むのを止めた。

そして昭和34年の創刊以来の「少年サンデー」「少年マガジン」等少年向け漫画を読み続けた。三島の言うように手塚や白土を読まなくても赤塚不二夫のギャグ漫画を読まない週はなかった。

赤塚漫画は最高に面白かった。毎週ニコニコしながら読んだ。赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」は大ヒットし、日本中の子供達の間で「テクマクマヤコン」「シエーッ!」「これでいいのだ」のせりふは大流行した。テレビアニメは1966年(昭和41年)の「おそ松くん」(毎日放送系)を皮切りに各局で合計11回放送されている。これらはすべて新作で再放送を含まない。すごいことである。

ゆえに日本を代表する漫画家をひとり挙げろと言われれば、筆者は迷わず赤塚不二夫と言う。これでいいのだ!!

天才ギャグ漫画家赤塚不二夫は2008年(平成20年)8月72歳で永眠した。合掌。

 

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柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。