銀行ドラマの卵『事実は脚色できるほどに奇なり』<実録・借金の相続>相続人は相続の事実を知った時から三か月以内なら相続放棄できる


柴川淳一[郷土史家]

 

瀬戸内海に面した温暖な小さな街。20余りの寺院が狭い町内にひしめく。木々の緑と遠浅の海の白い砂浜が見る者の目を楽しませてくれる。かつての塩田の跡地には、現在、高層マンションが林立している。

この土地を訪れる度に、私は故郷に帰って来たように錯覚する。しかし、そこは、私の生まれ育った場所ではない。私が勤めたことのある地方銀行時代、新人の四年間と定年前の三年間を過ごした街である。

新人銀行員として「渉外」係を拝命した私は、毎日、集金係として、様々な業種の顧客を訪問した。その中で老舗の造り酒屋があった。明治以前から続いた旧家で、大旦那夫婦と若旦那夫婦で、店を切り盛りしていた。頼りない新入行員の私を、家族同様に可愛がり、何かと面倒を見てくれた人達だった。

30年振りに当地に赴任した私は真っ先にこの造り酒屋を訪問した。

土間を入ると、昔と寸分、変わらない帳場があって、奥には、酒樽や店売りの箱入り清酒がうず高く積まれていた。懐かしい顔が現れた。若女将である。といっても30年の歳月は新妻を堂々たる老婦人に変えていた。私は、にこにこと笑顔で、再赴任の挨拶をした。

ところが女将の表情は異常な程冷たい。私の事が思い出せないのか?すると奥から、若旦那が顔を出した。彼の人もまた、老旦那に変身していた。目が合った瞬間の笑顔が、たちまち凍り付いた。

「どうかなさったんですか?」

訝る私に旦那が怒りをぶちまけた。

「どうもこうもねえんじゃ。あんたんとこの銀行から二月前に二億円払えゆうて、督促状が来たんじゃ。払えんなら、あんたんとこの銀行の預金も、抵当に入っとる家も店も酒蔵も全部、差し押さえるゆうてじゃ。」

私は夫婦から事件の経緯を聞き取った。夫婦のもとに、私の勤めるその地方銀行から夫宛名の催告書が届いたのは二か月前の事だった。

その造り酒屋の先代の主人が他人の連帯保証人になっていた。債務者は三か月前に二回目の手形不渡り事故を起こし銀行取引停止処分を受けていた。事実上の倒産である。その債務者の連帯保証人であった先代は今から十年前に他界していた。そのため債権者である地方銀行は連帯保証人である先代の相続人である息子に返済を求めたというものであった。

「それでワシャ、親父が他人の保証人になった言うことは聞いてないから、お宅の支店の融資課長に話したんじゃ。親父は十年も前に亡くなっている。親父名義の預金も不動産もなかったから手続きせんと、今日までほったらかしといて、そりゃあワシが悪かったが、相続放棄して何とか二億の借金を相続せずに払わんで済ませられんか?あんまり殺生な事せんと、こらえて欲しい言うて頼みに行ったんじゃ。ほんだら、相続放棄は三か月や!お宅の親父は十年も前に死んどるけん、あんたの責任で返済してくれゆうて融資課長に言われたんじゃ!」

私「旦那さんは、いつ先代が他人の連帯保証人になっていたという事を知ったのですか?」

「だから、二か月前にお宅の銀行の融資課長が、ワシ宛に内容証明郵便で通知して来た時じゃが……。」

私「旦那さん。あなたは、この借金払わんでもええ。」

「なんでや!ほんまか!?」

私「相続放棄は、相続人が相続の事実を知った時から三か月以内なら大丈夫。裁判所で相続放棄の申述をして認められたら証明書を書いてくれる。証明書のコピーでも銀行に送っといたら、二億円払わなくて済みますよ。」

「あんた、なんで敵に塩を送るみたいなこと言うんや?」

私「旦那さんご夫婦は敵じゃありませんよ。恩人です。それに旦那さんが弁護士さんの所へ相談に行ったら、すぐ結論の出る話です。私が言わなくてもいずれわかることです。それを内緒にして騙して他人の借金を無理やり払わせるような事はフェアーじゃない。当行はそんな銀行でないと分かって欲しかったんです。」

二週間後、相続放棄の申述は認められ、旦那は二億円の保証債務を払うことは無くなった。強引な回収を図ろうとした融資課長は転勤した。

 

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柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。