債務者への思いやりを忘れた傲慢な銀行員の末路


柴川淳一[著述業]

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筆者が支店勤務の銀行員時代の話だ。筆者は長期延滞中の融資先を十指に余るほど抱えていたが、ある時、「網膜剥離」の診断を受け、止むを得ず、入院のために休職することとなった。引き継ぎ事項、懸案事項をノートに書き出して病院へ向かった。

当時、担当顧客の中に老舗のある建材販売会社Bがあった。そのB社と筆者の勤務先とは二十年の融資取引があった。筆者が勤務していた支店が当地に開店して以来の得意先で小規模企業ながら、好景気不景気を問わず、永年、借入金利を払い続けて来てくれた大切な顧客である。

その法人には所有不動産がなく、社長の自宅も他の銀行の一番抵当に入っているため、B社への融資は信用保証協会の保証付き融資で取り組んでいた。担保や保証人のない企業が保証協会に保証料を支払い銀行からの融資を受ける。

もし、企業が借入金の返済不能に陥った場合は銀行は保証協会から債務者に代位して弁済を受ける。債権は銀行から保証協会に移り、協会は以後、債権者となって債務者である企業に返済を求めて行くことになるわけだ。

【参考】退職した銀行幹部の「妄想」と退職後も住宅ローンに苦しむ銀行OBたち

さて、筆者は入院に当たってB社の借入金をリスケジュール(返済しやすいプランに組み換えること)しようという保証協会宛の計画書を作成していた。しかし、後任の融資課長はそれを中止し、「返済能力無し」として保証協会宛ての代位弁済請求をかけてしまった。

その間、B社の社長の返済計画や弁明には一切聞く耳を持たず、たった一度だけ電話で督促し、電話の日から3日後を最終返済期限に指定した内容証明郵便を送り付け有無を言わさず、債権を保証協会に移行してしまった。

のちに筆者は、B社の社長から、

  • 「銀行に騙し討ちにされた」
  • 「我が社に向かって倒産しろと言っているのも同然だ。」
  • 「うちは、銀行から保証協会に売り飛ばされた会社だ。」

・・・等と、自虐的な恨み言を聞かされた。

筆者は、後任の融資課長に何故弁明の機会も再建のチャンスも与えず、B社を追い込むような真似をしたのかと、さすがに半ば険悪に問いただした。

すると後任の融資課長は、

「あなたのようなやり方では、延滞債権がますます、増加する。不良債権はどんどん切り捨てて行く方針だ」

と主張した。しかし、数年後、銀行員である彼自身が自ら借入した住宅ローンの返済不能に陥り、マイホームを手放すことになった。それは、彼自身が「不良債権はどんどん切り捨てて行く」と言う態度の中に債務者への思いやりを忘れた傲慢さがあったように思えてならない。

 

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柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。