計画倒産で夜逃げした不良債務者と街で再会したらどうするか?


柴川淳一[著述業]

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筆者がまだ銀行員だった頃の話だ。転勤のために、ある気懸かりな債務者を後輩の行員に引き継いだ事があった。転勤先の新任地で3ヶ月が過ぎたころ、その後輩から電話があった。

「先月分の返済がないまま、社長がつかまらないんです。自宅に行っても郵便受けが一杯になったままで。」

こういう事案でよくある手口は、店舗改装や従業員慰安旅行を口実に「しばらく休業します」と言う貼り紙を店舗や事務所のシャッターにはり、行方をくらませる方法だ。

この企業は社長の個人経営の電気工事業で、社長の自宅土地建物に抵当権設定をしたうえでの融資取引であった。しかし、貸出し残高は不動産担保評価額を大きく超えていた。その額は5000万円を超えるオーバーローン先だった。

筆者は既に転勤済みであったものの、心配になって、新任地から400キロ程の距離を夜、高速道路を飛ばして旧任地の支店に向かった。頼りないこの後輩では荷が重く、債権回収は時間とともにますます困難になることが予想されたからだ。

【参考】債務者への思いやりを忘れた傲慢な銀行員の末路

この時に筆者が後輩に伝えたことは2つ。「延滞債権を残したまま逃亡した債務者企業と社長に関する知り得るかぎりの情報」と「債権回収担当者として後輩が今後、採るべき手段」だ。

結局、逃亡した債務者家族の行方はわからずに6ヶ月が経った。

銀行は担保権を行使した。地方裁判所に差し押さえ競売の申し立てがなされ、回収手続きは粛々時実行されていった。事前の予想通り、借入残高から競売価額を差し引いても未回収の5000万円が残った。

困窮して銀行本部は償却債権として損金計上するか、バルクセルで二束三文で債権買い取り会社に叩き売りするかの結果、後者を選んだ。銀行の帳面からは、逃げた債務者の名前は消された。

5000万円近くの損害が発生したとして前任者であった筆者にも減俸処分や懲戒辞令が下され、筆者は四国の田舎町の出張所長代理と言う珍妙な肩書きの役職名が付いた。

ところがその後、なんと新任地の田舎町で、件の逃亡社長と再会したのだ。社長は泣きながらかつての担当者である筆者に謝罪した。もはや、銀行は債権者の立場にはなかったが、筆者はかつて融資係の先輩に教わった通りの、次のようなセリフを告げた。

「社長、現住所と電話番号をこの紙に書いて。後日、裁判所や銀行や債権回収会社から手紙が届きますから。銀行は手荒なことはしません。でも、返済金の未払いがあります。手紙にはその金についての返済を相談したいと言うことも書かれています。」

こう告げると社長はまた侘びながら、大泣きした。

 

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柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。