<甲子園に異議アリ>優勝・準優勝投手の多くがプロ入り後に肩や肘に故障を負っている現実


柴川淳一[郷土史家]

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また、夏が来て高校野球甲子園大会は新たな歴史を刻む。

だが、高校野球の聖地、高校球児の祭典、全国球児の頂点、甲子園の熱闘等々、どれ程、素晴らしい言葉を並べようと、この輝かしい大会中に「事故」は起きている。 それは、選手(特に投手)が大会中に十分な休養を取らずに、疲労を蓄積させたままで、長いイニングを戦い抜いた結果、生じるアクシデントや故障である。

前評判の高い剛球投手が打ち込まれ、あっけなく敗退したり、甲子園での優勝投手がプロ野球入りするや、早々と故障者リストに入ってしまったり、即戦力投手がプロ入りして、即打者に転向したなど、そういう例は数多い。どころか、ほとんどの優勝、準優勝投手が、期間の差こそあれ、プロ入り後、肩や肘に故障を負ってしまう。 これは、とんでもない話である。

憧れの甲子園で名勝負を演じ、人々に感動を与えて、母校や地元の誉れと尊敬される。しかし、本人は、身体に深刻なトラブルを抱え込んでしまう。

こんなことがあった。 スコアリングポジションにランナーをおいて味方の攻撃の場面。 内角球が左打者の左手親指に当たった!と、思った瞬間、審判のコールは 「ファール」 打者もデッドボールのアピールをせず、試合は進行した。

打者は三振し、チェンジとなった。が、ベンチに戻ったこの選手がなかなか、出てこない。 守備位置に着かない。 右手親指の治療のため、試合は中断した。 (高校生の君たち!なんで言わないの?なんで抗議しないの!? 今のはデッドボールだって! 審判が、監督が、大人が、すべて正しい訳じゃないよ。 規則が間違っていることだってあるよ。)

甲子園大会にケチつける気は毛頭ないけれど、あまりにも選手の健康管理、安全に対する気づかいが、おろそかではないか!?

高校生たちにケガをさせない、深刻な後遺症を負わせない。そういうことの方が勝ち負けや、母校地元の名誉より、大事ではないか! 私の思い出の試合は、1969年の青森三沢高校対愛媛松山商業の延長18回翌日再試合である。 当時は感動し、テレビの前で泣いたが、三沢高校太田投手は、その後、近鉄バッファローズに入団し、甲子園時代の輝きを見せることなく引退した。

優勝した松山商業の井上投手は、プロ入りを断念し、進学したが、卒業後は二度とボールを握ることはなかった。 延長27回、18回を投げ続ける。 県予選や甲子園の一回戦から、一つのチームで一人や二人の投手が投げ続けると言う事がどんなに過酷なことか?! 延長戦に対するルールは早急に見直すべきだ。(柴川淳一[郷土史家])

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柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。