<1・5流の作者・田中光は一流になれるのか?>話題の1コマ漫画『サラリーマン 山崎シゲル』を分析する


高橋維新[弁護士]

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今話題の1コマ漫画『サラリーマン 山崎シゲル』(田中光)を筆者の理論に従って分類すると、「シュール」のギャグ漫画ということになる。

ある人は、これはシュールでも何でもないと言う。山崎のボケは全て分かりやすいから、決して「シュール」ではないという論法である。しかし、分かりやすいボケでも「シュール」になり得るというのが筆者の理論体系である。

そもそも「シュール」とは何か。

「不条理」だとか「ナンセンス」だとか色々と説明はされるが、それは結局言い換えに過ぎず、何も説明してはいない。「シュール」とはどういう意味か?を説明しろと言われても、説明ができない人が大半ではないだろうか。それほど、「シュール」という言葉は、この言葉だけが先走っている。

そこで、筆者はシュールを以下のように定義することにした。そしてこの定義は、日常的に使われる「シュール」という言葉の意味範囲をほとんど捕捉していると自負している。

「シュール」とは、ボケに対するツッコミがない、あるいは弱い状態である。

「部長」は、山崎のボケに対して、弱いながらもツッコミをしている。ツッコミの強弱には、質的な強さと量的な強さという二種類の指標がある。部長のツッコミが弱い時に、主に注目しているのは、質的な強さである。大声を出せば、語気を強めれば、それだけツッコミは強くなっていくのだが、部長は普通のトーンで山崎の言動のおかしい点を指摘するのみである。このツッコミは、質的には弱い。

もう一つの量的な強さというのは、ボケ役が複数のボケを同時にやった場合に、何個のボケにツッコミを入れるのかという指標である。山崎のボケは毎回千差万別だが、全ての回において「部長という目上の人をおちょくっている」という別のボケを共通して孕んでいる。そして部長は基本的にこちらのボケに対してはツッコむことがない。そういう意味では、部長のツッコミは量的にも弱い。

以上の通り、『サラリーマン 山崎シゲル』は、シュールな作品であり、その中でも「ツッコミが弱いながらある作品」ということになる。

この弱いツッコミに対峙する山崎のボケは、前述の通り大きい。そもそも目上の人である部長を相手にしていることに加えて、ボケが提供してくるズレの振れ幅が大きい。

『サラリーマン 山崎シゲル』と似ているギャグ漫画を探してみたが、なかなかない。
うすた京介、増田こうすけ、澤井啓夫といった「少年ジャンプ」の王道あたりは、全体的にツッコミが(質的にも量的にも)強めである。和田ラヂヲや地獄のミサワは、シュールの中でもツッコミが絶無に近い位置づけにある。

赤塚不二夫作品にはツッコミがあまりないが、これはむしろ漫画がツッコミという手法を大々的に導入する以前の作品だったからではないかと筆者は睨んでいる。そもそもツッコミという手法が発見されていなかったゆえのシュールであるから、「敢えてツッコミをしない」後世の作品とは区別して考える必要がある。

大ボケに対する弱ツッコミということで、筆者が今のところ一番似ていると感じるのはお笑いコンビ・キングオブコメディのコントである。

しかし、この手法は、飽きられるのが早い。まず、目上の人である部長を相手にしているというボケは常に共通であるため、悪く言えばワンパターンである。部長のツッコミも常に弱いものでしかないため、こちらもやはりワンパターンである。

なんとかする方法は至極単純で、山崎が部長以外の人間をターゲットにしつつ、部長もたまに強いツッコミを入れることである。違うパターンを入れるのである。笑いの現場では、常に行われていることである。

ところが、これをやってしまうとこの作品の独自性や空気感がものの見事にスポイルされてしまう。山崎は部長をおちょくってこそ山崎であり、部長も無気力にツッコんでこそ部長であるのに、それを辞めろと言っているからである。

それを辞めても(すなわち山崎や部長に頼らずとも)作家の独自性が出せるとすれば、それは一流である。今は、1.5流の田中光が一流になれるかどうかが問われているというところであろう。

 

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高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。