ドキュメンタリー映画とは「相手に撮らせてもらう」のか?「相手を撮ってあげる」のか?


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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ドキュメンタリー映画監督・小川紳介(1935〜1992)率いる小川プロダクションの「作品を作る態度」「覚悟」「美学」といったことに触れておきたい。

三里塚シリーズを6本作り終えて一区切りをつけた小川プロダクションは、次なるベースを求めて山形へと移住した。それは1974年春のこと。ここで、さらに10年以上の時が流れていくことになる。

60年代から70年にかけて小川プロの新作が発表されるたびに、私は上映会場に駆けつけた。そして毎回、「自分も何かしなければ」と大いなる刺激を受けたものだ。三里塚から山形へと転移して、山形シリーズが発表され始め、もちろん、勇んで見にいくわけだが、ひとつの疑問が私の中で芽生え始めた。

小川プロが集団で住み着いたところは農村共同体である。このニッポンの共同体ということだが、まずもって、共同体というと人間関係が複雑に絡み合い、しがらみに縛られ、アップアップするという実感がある。その中で共同体の成員同士、時にいがみ合い憎み合い、ひどい時には傷つけ合う、といった事態までに発展する。

小川プロが住んでいるところは、まして農村である。農村の内部で、その、いがみ合い憎み合いがあっても不思議はない、いやドロドロしたいがみ合いが都会以上にあるはずだと想像するが、小川プロの作品には、そうした人間の負の部分を描いたシーンは、かけらも登場しない。

いったい、何故に?  と私は考えた。かくいう私は、人間のもつ負の部分にも目を向けるべきではないか?

「カメラを向けている人たちを批判したいがために」ではなく、「その人が自らの負の部分に真正面から向き合って克服し人間的な成長を遂げていく、そんなドラマチックなさまを描きたい」と私自身が願っているからだ。

負の部分をもっているからこそ人間だし、弱さを見せても、それもまた、その人の人間としての魅力なのである、というふうに人間を捉えているからだ。負の部分というが社会の歪みが個の中に侵入し、負といっているところのものを形作っているからこそ、負の全体像を明らかにし、どう克服すべきかを示さなければならないのではないか。

この考え方は現在でも生き続けているのだが、小川プロは、どうも違うようなのだ。今となっては、日付も場所も定かではないが、ドキュメンタリーは、相手に “撮らせてもらうのか? ”“撮ってあげるのか?”と提起されたことがあった。

小川紳介が上映会場などの場で「ぼくたちは村の人たちに撮らせてもらってるんですね」と繰り返し発言するのを私はよく覚えている。それを聞く度に、そうだろうか?という反発もまた感じていたのだ。

そんなに、相手にへりくだっていいのか、いや、小川さんは、へりくだり過ぎているのではないか、対等でいいじゃないか、いや対等であるべきだ、そんなふうに思えてならなかったのだ。

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。