<関係者もファンも怒りが止まない>レース雑誌が表紙にF1日本グランプリの大事故の写真を使った

海外

岩崎未都里[ブロガー]
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今年のF1日本グランプリは、折からの台風接近による悪コンディションの中でのレースでした。レース前に7年ぶりのホンダF1復帰が正式発表、メルセデスの二人による熾烈な争いが話題に、可夢偉もケータハムで復帰、過去のトップレーサー達もゲストで呼んでいましたね。久々の地上波放送と、来年のホンダ参戦グランプリの放送を盛り上げるためでしょう。
しかし、今回は本当に悪天候でした。あの「大英帝国の息子」どんなクルマでも最速にする元ワールドチャンピオンのナイジェル・マンセルも、デモ走行予定を中止するくらいの雨。中継を見ているかぎり、これは「棄権を主張するチームがいるだろうな」と予想しましたが、レーススタート。
水しぶきで後続の車が見えない状況でも、果敢にオーバーテイクするクレイジーなドライバーとクルー達。そう、一度スタートしたら続く限り、たとえ最悪な状況でも、死ぬかもしれなくても、ベストを尽くすのがレース。
年始に古い友人レーサーとの会話を思い出しました。ちょうど友人はチームとの契約継続をするかごうか、迷っていたので筆者は、

「そろそろ引退を考えない? 今まで怪我なく十分結果を出せたのはとてもラッキーなことなんだし」

と話しました。しかし、友人のレーサーは次のように答えました。

「去年、スタート前まで話してた長年のレーサー仲間がレース開始後、目の前でクラッシュしたんだよ。でも何も考えずに走り続けた。そいつは結局死んだけど走る、次のレースも走る。そりゃ頭をよぎるよ、あの時クラッシュしたのは俺の方だったかもしれない。でもそれは後で考えればよいことでまずは走るんだよ。走るのが好きだからね。それにまだ勝てる」

正直、自分の友人や家族にはやめてほしい、と思ってしまうのが本音です。
そんなことを思い出してる最中、スティールがスピン、なんと1周後に同じ場所でビアンキがスピンし、スティールの事故処理中のレッカー車両に突っ込んで大クラッシュ!不幸なことにシャーシーとの隙間に潜り込み頭部に深刻な重症を負い、未だに入院中で1週間経過しました。診断は「びまん性軸索損傷」でレーサーとして再起不能と言われています。
とても許しがたいのは、この時の事故画像を表紙に使ったレース雑誌が出版されたこと。「息子の事故画像は見たくない」と語る24歳のビアンキのお父さんの気持ちを考えると、あまりにも残酷です。セナの時もこのレース雑誌は事故画像を表紙へ。そこまでして話題性と部数が欲しいとは・・・と、ネット上でも関係者の間でも怒りの声が止みません。
では、なぜビアンキの事故は防ぐことが出来なかったのでしょうか。ご存知でしょう、かつてはPM1時スタートだった日本グランプリ、近年はヨーロッパでのTV放送時間を考慮してPM3時からと遅くなってきています。
今回もTV局への違約金支払い囘避のために、なんとしてもレースをPM3時からスタートさせたかったのです。引退した3度のワールドチャンピオンであるニキ・ラウダも今回「レースを早くスタートさせることもできた、それは間違いない。だが、わたしが決めるわけではない。」とコメントしていました。
今年、公開されたF1映画「RASH」は、そのニキ・ラウダとジェーム・スハントのライバル関係を事実に基づいて描いています。二人が1976年のワールドチャンピオンをかけて戦った最後の舞台は日本グランプリでした。
台風に伴う豪雨と視界不良の中、PM3時にレースがスタート。プロモーター側が広告収入とテレビ放映収入を失うことを恐れて、何としてもレースをスタートさせたがった・・・この頃から変わりません。
ラウダは1周走っただけで、これは走れる状態ではないと判断しリタイヤ、マクラーレンのジェイムズ・ハントが3位でフィニッシュし、1ポイント差で1976年のワールドチャンピオンシップを制覇しました。
ラウダのこの決断はレーサーとして決して軽いものではなく、その日のレース後、そのまま羽田国際空港から奥さんを連れ帰国しています。敗れたニキは、後日こう語っています。

「人生にはワールドチャンピオンシップよりも大事なことがある。生きていることだ」

その言葉通りにニキは生き延びて、予定通りに強かに、翌年に再度チャンピオンの栄冠を受けるのです。

「レースを早くスタートさせることもできた、それは間違いない。だが、わたしが決めることではない。」

では誰が決めたのかは明確でしょう。ビアンキ選手の一日も早い回復を心よりお祈りいたします。
 
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