<東京駅生誕100年>東京駅周辺の超高層ビル群は「東京駅舎」から4階より上の高さの権利を買い取って誕生した


柴川淳一[郷土史家]

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「東京駅・生誕百周年」ということで、東京駅ビルに行って来た。

昭和41年(1966年)の『あの娘たずねて』(佐々木新一・1966)という歌謡曲にこういう歌詞があった。

♪ 花の東京のど真ん中を山手線がぐるりと回っている。東京駅から乗車して皇居や丸ビルを右に見ながら、とんと、ひと駅下ったところが、あなたとよく訪れた初恋の思い出深い有楽町だ。なのに、あなたは、どこへ行ってしまったのだろう。

その頃、四国の片田舎でいた小学生だったので、この歌の情景が浮かばなかった筆者は、六十歳を過ぎて、花の都の片隅に住んでいる。しかし、東京の名所旧跡に詳しいわけでも、アグレッシブに都会生活を楽しんでいる訳でもない。リニューアルされた東京駅舎が1914年生まれだというのを知って気まぐれに訪れた。気まぐれついでに家人に同伴を求めた。

1954年生まれの筆者は、1914年生まれの東京駅舎の正面に立ち、「こんにちは。はじめまして先輩。」と心で告げた。東京駅舎の赤煉瓦の建物を見るのは、幼児期、親から買い与えられた絵本の東京駅を見て以来だと言ったら、家人が、不思議な生き物を見るような目で見た。

だから「昭和40年代にこんな歌が流行った」と、歌謡曲『あの娘たずねて』で話を逸らせた。しかし、この歌が唄われたころには、東京駅周辺の超高層ビル群はまだなかった。東京駅舎は往時の建築様式をそのまま、維持しつつ、補強リフォームし、従前の三階建てを守ったままで、現代によみがえった。その際、東京駅舎が本来、持ちえていた容積率を回りのビルに売却した。

「容積率の売却」が為された例は日本初で、他の地区でこんな例はない。回りの超高層ビル群は、百歳になる1914年生まれの「おじいちゃん(東京駅舎)」の、4階より上の高さの権利を買い取って、超高層建築として誕生した訳だ。

そうして、東京駅舎は、はるか後輩の若い背の高いビルに見下ろされて存在している。かくして「チビで老人の東京駅舎」は、回りの建物に恩恵を与えながら、日本の情報の交差点として忙しいながらも、しっとりと、どっしりと、存在している。

 

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柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。