<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産(27)「俺はリハーサル室の中に作ってもらったセットに泊まり込んだ」

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]

***

これまでのインタビューはコチラ

1980年代、『欽ドン!』『欽どこ』『欽曜日』とズラリ並んだ大将(萩本欽一)の視聴率30%番組。その中で、僕が作家として関わったのは、『欽ドン!』だけ。
視聴率はどんどん上がり、なんと39.8%まで上がって、記念の腕時計をもらった。だが40%には届かない、唯一40%を軽々と超えたのが『欽ちゃんのどこまでやるの』である。同じ大将の番組だが、関わっていない僕は異常に悔しかった覚えがある。

「『欽どこ』はね、皇(達也=プロデユーサー)さんが、頼みに来たの。ウチ(テレビ朝日)でも、番組やってくれないかって。皇さん、玄関のところに立ったままで中にはいらない、それでね、サラリーマンだから上の人に言われてきたんだけど、とにかく来たことは来たよって人には言って下さいって、帰ろうとする」
「だから、止めて聞いたんだよ、このまま手ぶらで帰ったら、サラリーマンとしてどうなる?って。そしたら、相当影響があるって言う。じゃあ、やるって言ったらどうなるって聞いたら、相当いい所行くっていう」
「それで、皇さんに言ったの。会社にもどったら、とりあえず、欽ちゃんやりそうだよって答えとけばって」

それから大将は周囲の人に聞きまくったそうだ。テレビ朝日で番組やるのはどうかと。当時テレビ朝日はバラエティが出来ない局というイメージが業界全体に浸透していた頃だ。

「誰一人いなかった、やったほうがいいという人。みんなやらないほうがいいっていう。これは俺としては決まりだ」

「やるということですよね」

テレビ朝日に応諾の連絡をした。すると、しばらくして皇さんから電話が来たそうだ。

「まだ局内にはテレビ朝日で本当に欽ちゃんがやるのかと信じていない人がいる。欽ちゃんが顔を見せないと信じてもらえないので局に来てくれないかってね。行ったよだから。偉い人に挨拶なんかして、そしたら皇さんがせっかく来てもらったんだから、企画会議もやりたいって言って、スタッフが待ってるのってスタジオに連れて行かれたの」
「スタジオのドアを開けたら、いたんだよ、60人のスタッフが全員」
「ああこの時、ハマったッて思った」

「当たると」

「そう、当たるって」
「ある日ね、皇さんが、欽ちゃん考えるの好きだよねって、どこが考えやすいって聞くから、家だよねえって言ったら、リハーサル室に連れてかれたの。またドア開けたら、ドア開けるの好きだけどテレ朝は。開けたら、『欽どこ』のセットがそのまま組んである、欽ちゃんいつでもここに泊まっていつまでも考えて下さい、布団もあるしって、だから、週1回はここに泊まって考えた。食べ物とかは時々覗きにくる美術の草間ちゃんとかが買ってきてくれた」
「それで、ここに一台生きてるテレビカメラを置いてってくれたの。それを、いつも覗いてたんだ、そしたら、すごいことに気づいた、今までやってたの間違いだったって」

 
【あわせて読みたい】