<ラジオから流れてきた洋楽たち>あの頃、大事なことはラジオが教えてくれた。


柴川淳一[郷土史家]

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昔の子どもにとっての「大事なことやおもしろいこと」は、すべてラジオが教えてくれた。

あの頃(そう1960年から1970年代の話だ)、ラジオから、しょっちゅう洋楽が流れていた。今でもそうなのかもしれないが、筆者の記憶の中では、当時は今よりも洋楽が流れていたように思う。

当時の筆者は、英語の歌詞そのものは興味もなく、意味を知ろうともしなかった田舎の子供にすぎなかった。しかし、タイトルやメロディーは妙に覚えている。それとバンドにまつわるエピソードは今でも記憶に残っている。

当時の洋楽は短い。だいたい、1分~2分で終わる。それをラジオで聞いていた。ビートルズ「伝説の日本武道館コンサート」はたったの30分間。今、セットリストを見ると11曲だ。もちろんMCなんか無い。だから、一曲が1分から2分くらいという勘定になる。

だいたいビートルズは、どこの国のどこの会場でも30分が限度だったようだ。当時のビートルズは自ら認めているが、演奏技術が極めて稚拙でそれが限度だったからだろう。身近いからといって、別段、日本のファンを舐めていたわけじゃないのだ。

クィーンの「キラークィーン」(1974)と言う曲の中に「がんばれ田渕!」と言っているようにしか、聞こえないコーラスがある。原語は「大爆発!」とかと歌っているらしい。

ローリングストーンズのナンバーにそっくりな曲がテンプターズの持ち歌に存在する(テンプターズは日本のグループサウンズで萩原健一がボーカルだった)。もっとも、テンプターズは、ローリングストーンズを大崇拝していたらしい。そっくりだったとしても、無理からぬところかも知れない。

ビーチボーイズの「リトルホンダ」(1963)と言う曲は当時、アメリカで発売されたHondaの「スーパーカブ」を歌ったものである。半世紀前から「世界のHonda」だったわけだ。

こういったエピソードをいくら知っているかと言うことは、当時の田舎の子供にとって大切なことであった。それは大事なことで、おもろいことだったのだ。それらをみんな、ラジオが教えてくれた。

今では、探しに行かないと見つからない時代だ。

 

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柴川淳一

柴川淳一。郷土史家。1954年香川県生まれ。明治大学卒業後、地方銀行に37年間奉職。