<なぜ、トーク番組が全盛なのか>トーク番組は、言ってみれば不条理な演劇的空間である


水留章[テレビ制作会社社長]

 

トークとは、英語の「talk」であり「話すこと」の意味であることは誰も知っています。もちろん普通話す事は目の前の相手に向けて話してるわけで、遠くの人に大声で話してるわけではありませんよね。叫んでるわけじゃない。

しかし、最近のテレビの「トーク番組」のみると、いわゆる「トーク」とはちょっと違うことに気づかされます。基本は司会者に向かって話している。もしくは直前の話し手に同意したり反論したりして話している。見え方としては確かにそのように見えるはずです。

でも、本当は違います。

トーク番組で話す人は明らかにテレビのモニターの向こうの視聴者に向けて話している、発信している。だいたいパネリスト達はカメラに向かって横に並んでる事が多い。俗に言うひな壇ですね。

だから最近のトーク番組は、「お話し」番組ではなく、いろいろな話し手が色々な役割を演じているプログラム、トークの形を借りた即興舞台劇とでも呼ぶ番組、なのではないでしょうか。

話し手は自分が言いたいことしゃべっているのではなく、ここで演じなければいけない役割を演じているだけなのです。極端に言えばトーク番組はドラマの代替物かもしれない。情報番組の代替物かもしれない。コント番組の代わりかもしれない。

名物親父のいる、出るまでに20分は待たなければならないとても美味しいうどん屋があるとします。そのうどん屋さんの体験を皆で話している事は、その街の情報伝えることであり、同時にその人がうどん屋で体験した面白い体験をドラマ化しているのではないでしょうか?だから面白いのだと思います。

たとえば、うどん屋で、1時間待たされた話をするとします。

「いやあ、1時間もかかっちゃったんですよ」

「なにが?」

「うどんです」

「打ったの」

「いや食べたんです」

「それで1時間? 猫舌なんだ」

「そう結構熱いの食べられなくてって…そうじゃなくて僕の話聞いてくださいよ」

「聞いてるよ」

「じゃ話しますよ。場所は、西麻布でね」

「西麻布のどの辺?」

「交差点のね、だからそれはあんまり関係なくてね」

 

話は際限なく続けることができます。もはや、これはトークではなく不条理の演劇的空間です。コンセプトしっかり作れて、社交性を持った人当たりの良いプロデューサーがいれば、トーク番組は、結構作れるのではないか、と思います。

ただし、今現在トーク番組を作っている人には、私には、思いもつかない苦労があると思います。もちろん、トーク番組が、どのジャンルの番組でも良いのですが、視聴率的に好調なのは別に悪いことではありません。

ただし作り込んだ番組が少なくなって「お手軽な」という形容詞が付くトーク番組が多いことを憂えている人が結構いるのは確かです。

 

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水留章

水留章(みずとめ・あきら)1954年神奈川県出身。大学時代に野沢協氏の薫陶を受け、偉大な知性の存在に圧倒される。TBS入社後、制作で居作昌果氏に指導受け、仕事の肝要を教わる。その後編成、営業、人事、スポーツを経験、現在 (株)ドリマックス・テレビジョン代表。趣味…クロール、宝物…Gibson J45