<大学の無知>東京理科大「笑育」は芸能を理解していない害悪
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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東京理科大が芸人を招いて、人と上手くかかわる技術を学ぶ講座を開いているというニュースをNHKでやっていた。
硬い、暗いニュースが並ぶ中で「クスッと笑えるニュースも入れてみました」と言うところだろうが、これは笑いの専門家として、またときに教育批評にも関わる者として捨ておけないニュースであるように感じた。
なぜなら、このような授業ではコミュニケーション能力は上がらないし、それどころか害悪を招いてしまう可能性があるからだ。
【参考】<MITでも学費の無駄>堀江貴文「今18歳だったら大学なんかいかない」
まず、理系では難関大学であるとされる理科大の公式ページからその概要を見て見る。
(以下HPから引用)大学初!プロの芸人に学ぶ「漫才づくり」―「笑育」で育む発想力・プレゼン力・コミュニケーション力― 本学ではこのたび、特別授業「笑育(わらいく)」を開講いたします。これは、「人と関わるのが苦手」、「人前でうまく話せるようになりたい」「自己アピールが下手なため就活などで苦戦している」といった悩みを抱える学生たちに対し、松竹芸能所属の実力派芸人が「笑い」を通じて苦手意識の克服、またこれら能力を伸ばしてもらうことを目的にしています。「笑い」という一見するところ、ありふれた、日常的行為を意図的に生み出すためには、ネタ作りのための思考力・発想力・イメージ力、共に舞台に立つ「相方」と協働する力、観客を味方につけるための力など、高度に複合的・総合的な力が必要とされます。この取り組みは松竹芸能株式会社が2012年から実施しているもので、大学生を対象とした「笑育」は本学が初めてとなります。(以上、引用)
まず、こうした芸人の笑いと素人が会話で交わす笑いが全く別のものであることをこの人達は理解していない。
芸人の笑いはまず、
- インチキである。
- いじめを肯定している(ツッコミはいじめである)
- 異常である
- キャラなどを必要とする、そのキャラは作られたものである。
素人の喋りにこれらを導入する必要は全くない。素人にキャラなどはなくてもよいものである。素人は何より面白くなくても良いし誠実に喋るだけで良い。
今、世の中がぎすぎすしているひとつの要因には素人が芸人のように話さなければならないという強迫観念や、同調圧力がある。しかし、素人はそれを真似る必要は全くない。素人がみな芸人のように喋るようになったとしたらそれは想像するだに恐ろしい社会である。
公式HPでは
「『笑い』という一見するところ、ありふれた、日常的行為を意図的に生み出すためには、ネタ作りのための思考力・発想力・イメージ力、共に舞台に立つ「相方」と協働する力、観客を味方につけるための力など、高度に複合的・総合的な力が必要とされます」
とあるが、これも認識違いである。書き換えるとこうなる。
「芸人の『笑い』はありふれた日常的行為の中に、意図的に異常を持ち込むものであり、ネタを書いた側がネタを書かない相方をいかに従わせるか、観客をいじって笑いを取る誘惑からいかに離れるかであり、想像する力、創造する力、素人とははるかに高い表現する力を必要とするなど、高度に複合的・総合的な力が必要とされます」
こんなものを学んでどうするというのか。
【参考】学校の「一斉授業」は人生の貴重な時間の無駄?
笑いは楽しいもだから、それを見せて笑ってもらうのは良いことだけれど、そこから学んで役に立つのは将来エンターテインメントの世界で活躍しようと思っている人だけである。松竹芸能もどこまで本気でこれをやろうとしているのか。
ただ、今は売れていない芸人を連れて行って「笑い」を見せるのでは大学に金を払ってもらえないから、理屈を付けただけではないのか。これは屁理屈であり松竹芸能が屁理屈と認識していないとしたら笑いを何も分かっていない事務所と言うことになろう。
この笑育で育った素人ほどうざい者はいないだろう。笑育を真に受けた人達は「ちっとも面白くないのに自分は面白いと思う素人」に育っているはずだからである。
救いは東京理科大生およそ20000人、そのうちこの講座を取った者20人、0.1%と言う事実である。理科大生は分かっているのである。
なお、松竹芸能のために最後に記すと、もしこの講座を笑福亭鶴瓶さんが「芸人と素人の会話の違い」というテーマで開講するならそれこそ、立派な笑育になるだろう。筆者も聴きに行きたい。
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