<女性議員の「おしゃれ」の是非>女性政治家が「女性らしく」振舞うことは許されるか?
水野ゆうき[千葉県議会議員]
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政治はまだまだ男社会である。どの自治体の議会を見てみても男性が圧倒的に多い。
地方議会における女性議員のポジションといえば「市民派」だとか「改革派」などと呼ばれるカテゴリーの議員が大半を占める。国政で言えば野党的な立場が多い。そもそも保守系の女性地方議員は圧倒的に少なく、特に無所属ともなれば「希少種」のレベルだ。
ちなみに「地方はリベラルに前に進め、国は中道保守」という主張を持つ筆者は、我孫子市議を皮切りに、現在の千葉県議に至る今日までどこの政党や組織にも属していない完全無所属である。つまり「希少種」の一人だろう。
筆者に限らず、政治家が女性であること、すなわち「女性議員」であること自体は、選挙に有利に働くことは少なくない。特に、若手であれば、「若い女性」ということだけで、他の男性議員よりも注目されたり、メディアに露出するチャンスも比較的多い。
しかし、その一方で、議員として、議会の中や政治の仕事をする上では、「女性である」ということが、アクティブな活動を邪魔していると肌で感じることもある。
例えば、女性には毎月の生理があり、妊娠や出産の可能性もある。これまでも幾度となく訴えてきたことだが、選挙期間や一般質問日に、このような女性特有の生理現象が重なってしまったら絶望的だ。薬を飲み、腹痛や腰痛と闘いながら仕事をこなさなくてはならない。男性にはない特徴的な障壁のひとつだろう。
そして、何よりも大きな障壁は、「周囲からの見え方」だ。
男性の政治家が自撮りした写真をSNSやブログなどで公開しても、よほどでない限り、その写真が批判の的にはなることはない。しかし、女性議員が同様のことをすれば「女を武器にしてる」「中身がないから女性でアピール」などという誹謗中傷を言われる。
こういったことは、よく考えてみればおかしな話だ。筆者が政治家という仕事でなければ言われないことであろう。
そういうことを避けるために、議会では極力落ち着いた色のスーツを着用したり、パンツスーツを履くように心がけている。しかし、果たしてそれが本来のあるべき姿なのか?と自問自答する時がある。スカートのような「女性ならではの服装」をすることに何故気を遣わなければならないのだろうか、と。
政治家に限ったことではないかもしれないが、社会人女性がおしゃれをして笑顔を振りまくと、時として「ぶりっ子」だとか「男に媚びている」などという不名誉な肩書きがつけられる。
特に、女性の政治家が「女性特有の立ち居振る舞い」をすることは、日本の社会では揶揄や冷やかしも含め、悪口を言われる原因となっているのは明白だ。結果、筆者もそういった意図せぬ煩わしさを事前に回避するためにも、無意識的に「男性よりも強い女性」を演じていたような点は否めない。時に、「女侍」とまで言われるようになり、議会ではとにかく女を捨ててしまったというわけだ。
女性は一般的におしゃれをすることが好きだ。筆者は、テレビやマスコミといった業界の出身で、政治家になって以降もメディアに関わる活動は少なくない。そういったこれまでの仕事柄、やはり「おしゃれ」は好きだ。
しかし、上述のように面倒なことを避けるために、あえてつまらないスタイルで議会に向かっている。少しでもファッション性を出すと、すぐに何か勘繰られ、それ自体が面倒だからだ。
もちろん、ここで筆者が言う「おしゃれ」「ファッション性」とは、芸能人のような華美なことを意味しているわけでも、高級なハイブランドを身につけるということでもない。いわゆる一般的な民間企業の女性社員たちと同等レベルの話だ。
女性に生まれてきた以上、生理や出産からは逃れられないことと同様に、職種やTPOをわきまえていれば、政治家であろうと、ある程度は女性であることや「女性らしさ」を楽しんでも良いと思う。
政治という男社会の中で、筆者のような無所属の女性議員が単独で生き抜くためには苦悩は多い。一見、瑣末なようなことに見えるが、チリも積もれば・・・ということで、大きな悩みとなってくる。そういった悩みを抱える女性政治家は少なくないだろう。
政治家として「女性であること」は、戦術のひとつとして見れば、プラスにもマイナスにも働く。もちろんそれをどう使うかは人によって異なり、度が過ぎれば同性からも攻撃を受けることにもなるだろう。そのバランスは非常に難しい。
政治の世界では、身体的にも体力的にも女性は不利な面は多いが、「女性ならではの特性」も受け入れていかなくては、政界だけはいつまでたっても女性が働きたいと思う業界にならないのではないかと感じるようになった。
女性特有のきめ細やかさや優しさ、気遣いは男女が心地よく暮らすために非常に重要だ。また、女性が社会で活躍するための環境面等の課題の解決にも、やはり女性政治家の存在が不可欠だ。
筆者は、政界への女性進出を掲げているにも関わらず、仕事をする上で「女性らしさ」を否定してきた自分自身を見つめ直している時期に来ている。そして、それを男性議員にも理解してもらいたいとも痛感する。媚びているわけでもなんでもないということを。
なぜなら、筆者を含め、女性は女に生まれた以上、女でいることをやめたくてもやめられないのだから。
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