キャリアを持った高卒社会人は大学院に入れる?入れない?

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家]
2013年10月10日

文部科学省は生涯学習に関して「人々が、生涯のいつでも、自由に学習機会を選択して学習することができ、その成果が適切に評価される」環境を作ることを謳っている。しかし、この政策はお題目だけに終わっていると言わざるをえないという思い知らされる出来事があった。
友人のA氏は、働き始めて35年以上、充分な実務能力を持った社会人である。もう60歳近いので最前線の現場を離れて後進の指導を仕事にしようと考えた。その際、後進の指導をするにはもう少し系統的な勉強をせねば、と、A氏は「大学院に行くこと」を思い立った。しかし、A氏は残念ながら大学中退である(つまり最終学歴は高卒)。
受験資格がないのではないかと心配になって各大学の入試要項を調べてみた。すると、その資格の中に「大学卒に準ずる能力があると本学が認めた者」と記してあるではないか。A氏は欣喜雀躍した。本人のこれまでやってきた仕事の範囲なら、充分、大卒以上の能力を持っていると自信があったからだ。
選んだ大学院は国立大学の大学院が2校、私立大学の大学院が3校の計5校だ。いづれも都内での知名度のある有名大学の研究科である。
求められれた書類を出して受験資格があるか尋ねた。すると意外なことに、国立の2校は受験資格があると認めてくれたが、私立大学3校は「大卒でないから」という理由で受験資格を認めてくれなかったのである。実に奇妙な理由と結果にA氏は戸惑った。「準ずる者かどうか」尋ねたのは、大卒でないからである。大卒でないと認めないのなら「準ずる者」などと書かなければ良いのに。そうA氏は思ったのである。
この話を聞いて、僕は大検のことを思い浮かべた。18歳を超えていて、大検にさえ受かれば、誰でも、どの大学でも受けられる。つまり大学はすべての人に門戸が開かれていると言えよう。ところが大学院になると、大検のような制度がないため、高卒であったり、大学中退であったりすると、救われないことになってしまうのである。
大検がない代わりの「準ずる者」制度なのではないか。「大卒でないと受験資格がない」というのは理由にならない。私立の3大学は「準ずるかどうか」を審査さえせず、門前払いしたのである。これは「生涯学習の推進」という観点からも感心できる措置ではないと思う。
勉強したくなったときに勉強するほど効率が上がることはない。A氏がそれに当たる。ところが、受験資格がないのである。大学院はそうした門前払いをやめ、ある一定の年齢を超えればという条件付きで良いから、全ての人の門戸を開くべきではないだろうか。
「準ずる者」に当たるかどうかは試験を受けさせて判断すれば良いのである。それが書類審査であっても構わないだろう。A氏のような勉学の志に燃える人を掬い上げていくことこそが、生涯学習の一つの役目であり、増え過ぎたと批判をあびる大学の仕事なのではないか。
ちなみにA氏は受験資格がもらえた2つの大学に落ちた。しかしそれは決してA氏の意欲を減じさせることには、なっていないのである。
さらにちなみにA氏とは、僕である。