放送作家が語る『スタンダップ・コメディアン、明石家さんま論』
高橋秀樹[放送作家]
2013年10月18日
明石家さんまは、スタンダップ・コメディアン(Stand Up Comedian)である。文字通り立って演じるコメディアン、つまり喜劇役者である。だから、芝居もうまい。
スタンダップ・コメディアンはアメリカのショウビジネス上の分類であり、板(劇場の舞台)の上でジョークを言い、時に人間の哀しさや、どうしようもなさをカリカチュアライズして演じてみせる。その手法はアメリカのテレビショウにそのままの形で導入され、エド・サリバンショウ、ボブ・ホープショウ、ディーン・マーティンショウといった優れたテレビショウが生まれた。
こうしたホストの名を冠した歌ありダンスありコントありのショウ番組は、日本では『植木等ショウ』の例があるが結局は根付かなかった。『シャボン玉ホリデイ』は、クレイジー・キャッツとザ・ピーナッツのホスト&ホステスのテレビショウということもできようか。
さて、ここでさんまの番組を思い返してみると、みな、さんまがホストのテレビショウになっていることに気づく。笑いを作る人は自分が面白い人と、他人の面白さを際立たせる人の2種類がいるが、さんまはそのどちらでもなく、その上を行っている。さんまが出演者の面白いところを引き出し、充分に笑いを取ったところで、結局は自分が一番面白いという位置に持っていく手腕の確かさに驚く。30年一線にいる実力である。
テレビショウであるならば、要素として音楽と、コントが必要である。さんまは年一回のコントライブを続けておりコント作りの天才である。ところが今のテレビの視聴者は(実は注視してみる努力が必要な)コントを求めていない。さんまには音楽の素地がない。ゆえにトークを中心にすえたテレビショウになってしまうのだが、テレビショウこそバラエティの中心であるべきだと思う僕は、ぜひ、さんまに桑田佳祐と組んだテレビショウをやってほしいと思う。
テレビショウのホストの仕事として、ぜひ必要なのは、エド・サリバンがエルビス・プレスリーを見出したように次代のスターを見出すことだ。さんまはその点でも実は申し分がない。中村玉緒の深窓の令嬢であるが故の傍若無人、浅田美代子の天然、尾木ママのジェンダーすべて見出したのはさんまである。付け加えるならば村上ショージの黒柳徹子名づけるところの「すべり芸」を使いこなせるのも明石家さんまだけである。
さんまは、スタンダップ・コメディの筆頭として、ときどき若手芸人に対して、自分お笑いの文法を解く。それは実に正しい文法だが、若手芸人たちがその文法に唯々諾々として従う姿は見ていて哀しくなる姿だ。その文法は明石家さんまの文法であって、別の人格の芸人がまねするべきものではないだろう。
明石家さんまを襲い、いや乗り越えて、次代のスタンダップ・コメディアンなるために。