<2014年、地上波デジタルテレビは国粋主義者となる?>日本人がみな聡明なら「テレビなど誰も見なくなる」、馬鹿だけを相手にやっていれば「テレビの未来は暗い」
高橋秀樹[放送作家]
2013年12月30日
2014年、テレビは2つの国粋主義イベントを抱えている。
2月7日に開幕するソチ・オリンピックでは、フライングレディと、ジャンプガールズ&ボーイズが国民的ヒーローになることを全日本人が待っている。
6月12日から一ヶ月にわたって繰り広げられ1億2000万人がサッカー評論家と化すFIFAワールドカップでは、日本人のほとんどが、コートジボワール料理とコスタリカ料理とギリシア料理に詳しくなるはずだ。コートジボワール料理の店は浜松町に一軒あるらしいが、今から開店しておけば、7月まではテレビの取材と、それに伴う物見遊山で潤うだろう。ただしその後は潮が引くように客が来なくなるだろうから、直ちに閉店することが肝要である。
テレビの歴史は戦後に始まる。そういった経緯もあってか、一部のテレビ局を除いては、ふだんは国粋主義を敵とみなしているが、この2つの大きなイベントの期間だけはおおっぴらな国粋主義がまかり通るのは不思議なことだ。日本人の大方は心情国粋主義者だとテレビは見抜いているからそこをくすぐれば視聴率がとれると踏んでいるのである。だが、果たして本当にそうなのだろうか。「がんばれニッポン」だけが視聴率を稼ぐ日本人のあり方に僕は異議を唱えたい。
報道や情報系の番組の企画会議に出ていると、よく、「遠いからなあ、それは」という発言を聞く。その意味は「それは、遠いエジプトで起こったテロだから」「あれは、遠いフィリピンで発生した災害だから」やっても(放送しても)しょうがない、ということである。
外国で大規模な飛行機事故などが起こると、よく「日本人の被害者はいない模様です」というコメントを聞くことがあるのはご存知のとおりだ。このコメントは「日本人は関係ないのでもう報道はしません」というテレビ局の宣言である。このことに僕は強烈な違和感を抱く。「遠いから」「視聴率をとらない」「日本人が死んでいないから」「誰も見てくれない」という発想から、そろそろテレビは抜け出さなくてはいけないのではないのか。
「遠いから」を、「関心ないからやってもしょうがない」とイコールで結び付けてはならない。テレビが、関心を喚起できないまま、特定秘密保護法が公布され、誰も関心がないからと扱いが小さかった2012年の都知事選で猪瀬直樹氏は誰も気づかないうちにちゃっかり当選し、不祥事をうやむやにするために辞任し、TPPが、日本の文化自体の破壊につながることが議論の俎上に登らないうちに締結されるかもしれないないのである。
親米なのに国粋主義という不思議な存在をトップに頂く日本人。その日本人が、みな聡明ならおそらく「テレビなど誰も見なくなる」し、馬鹿だけを相手にやっていてはメディアとしての「テレビの未来は」『暗い』。