古舘伊知郎『MC論』からの偏愛的「司会者論」(2)なぜ明石家さんま、笑福亭鶴瓶、所ジョージはすごいのか

テレビ

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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前回に引き続き、『古舘伊知郎『MC論』からの偏愛的「司会者論」』の第二回である。今回は、明石家さんま、笑福亭鶴瓶、所ジョージの3氏について述べてみたい。

*明石家さんま「(古舘本)トークショー化するMC」

明石家さんまは「受け」のできる司会者であると思う。よく島田紳助と比較されてきたが、紳助さんが自分でする話が面白いのに対し、さんまさんは人の話を受けて取る笑いにかけては随一である。「あの、人の話を聞いてフロアにコケるでしょ。さんまちゃん。あれが(も)受けなんだよ」と欽ちゃんは教えてくれた。

さんまさんの番組に関わって、私ははいくつも失敗をしている。ごめん。たった7回で終わった『生さんま みんなでイイ気持ち!!』。私は構成のヘッドで、司会は中居正広くんとのコンビだった。この失敗は中居くんに進行を任せたことだ。中居くんの仕切りのテンポと、さんまさんのテンポが全く噛み合わず、さんまさんはやりにくそうだった。進行から離れて自由にやってもらうとは、どういうことなのかそれを、スタッフが勘違いしていたのだ。

この場合、進行は無味乾燥でなければならない。それから、余計な企画を放り込んだことも失敗の元。さんまさんだけでは持たないという傲慢な判断からである。持たないなら俺が持つようにしてみせる。「板に乗ったら(舞台に上がったら)笑いを取るまでは降りない」それがさんまさんだ。

中居、さんまのコンビは面白くないはずがないが、やり方なのである。TBSで同じコンビの特番をやった。このときは年表に司会をさせた。年表に二人のTBS番組出演歴を書き、あとはおまかせ。うまく回った。

さんまさんは『お笑い向上委員会』(フジ)などで、自分の笑いの文法をよく語る。これだけ手の内を開示している人は珍しい。だが、他の出演者がその文法に唯々諾々として従っているときはなんだが寂しい。先日、芸人の永野が文法を破った。永野は「お笑いは、笑われればいいだけ、(M−1に優勝したりして)尊敬されるようになったらおしまい」と言って、激しくさんまさんの心を揺り動かした。さんまさんに火がついた。「もっともっと笑いを」。

おかげで用意していた蛙亭のお笑い向上にはさっぱり触れられず。こういうときにわかっていないスタッフは「蛙亭に触れて」などのフリップを出したりする。この類のスタッフを激しく否定するのが、司会者さんま。昔はさんまさんに「真面目にやってください」と注意する非常識なディレクターもいたものだ。

[参考]古舘伊知郎『MC論』からの偏愛的「司会者論」(1)なぜ大橋巨泉とタモリはすごいのか

私は『明石家多国籍軍』(毎日放送)もチーフ作家でやらせてもらった。さんまさんの司会の真髄はトークにある。もう色んなパターンの相手とトークをやっていて、新しい対象がいない。思いついたのが外国人だ。外国人相手に、さんまさんが見つけた天然ボケ大女優・中村玉緒さんと二人で話を聞く。面白かった。でも半年で終わった。さんまさんが、自分で考えた企画以外でOKするのは「世話になった人のため」である。プロデューサーは『明石家電視台』(毎日放送)のPでもあった。彼のために半年付き合ったのである。番組が終わるとき一番心配していたのは玉緒さんの次の仕事のことだった。玉緒さんは『からくりテレビ』(TBS)でまた花開いた。

大竹しのぶさんと結婚していた頃、誰も覚えていないだろうが、さんまさんは低迷期であった。さんまさんと大竹さんのトークはピリピリと緊張感が走って面白い。普段はツッコミのさんまさんが大竹さんに突っ込まれる。ボケると大竹さんに面白くないと言われる。さんまさんにとって大竹さんはビートたけしさんより強敵。そんな存在は他にいないだろう。

「さんまさん、笑われればいいだけ、しあわせになったらおしまい」

盟友のたけしさんもタモリさんも「さんまには教養がない」と言う。

「さんまさん、笑われればいいだけ、教養なんかあったらおしまい」

意外だがさんまさんは稽古が好きだ。間寛平さんの周年記念リサイタルで、なんば花月に出たときは「稽古なんかいらんやろ、と嫌がる寛平さんのお尻を叩いて猛稽古していた。

「笑われればいいだけ、稽古はせなあかん」

さんまさんは私と同じ年だが、学年がひとつ下だ。66歳にもなって「学年が下」もないものだが、そのくらいしか、さんまさんにマウントすることは思いつかない。あ、そう言えば『オレたちひょうきん族』(フジ)の最終回でタケちゃんマンは何をやろうかと言う話になったとき、私の書いた「木綿のハンカチーフ」のⅡをやろうと言ってくれたのは、嬉しかった。これも同年代、学年ひとつ下の賜物です。

*笑福亭鶴瓶「(古舘本)実家感を出す日本一の雑談王」

鶴瓶さんとは、ほとんど仕事をしたことがない。スタジオにアルマイトのやかんを山と積んで、音がしないように取っていって数を競う、というゲーム番組(テレビ朝日)をやったことがあるのだが、タイトルは忘れてしまった。

この番組の視聴率が悪いときに、電通の人が会議に来て、スタッフを怒気をはらんで激しくなじった。長いことなじった。「視聴率が悪いのはお前らのせいだ」という主旨である。私は頭にきて、「スタッフを信じない人が責任者では、番組は絶対に良くならない」と、珍しく啖呵を切って途中で会議室からでたことだけ覚えている。

鶴瓶さんはスタッフを大事にする人だと聞く。

タモリさんは鶴瓶さんを評して「日本一の偽善芸」と、事もあろうに『ブラタモリ』(NHK)の放送の中で言っていた。これを聞いて、私は笑いが止まらなくなってしまった。タモリさんしか言えない評だが、あまりに芯を食っている。鶴瓶さんはホントは危なくて魅力的なおじいさんなのに。テレビのためのそれをつゆ程も出さない、ということができる芸人なのだ。

*所ジョージ(古舘本に記載なし)

今の日本のテレビで、所を司会者の列に加えないのは片手落ちだろう。一年ほど前、兄弟子の脚本家、水谷龍二に会ったら意外なことを言う。

「所、すごいなあ。大物になっちゃって」

何を言っているんだ、このおっさんは。所はずっとここ何十年も大物である。

私の兄弟子がこんな事を言うのには理由がある。1979年に日本テレビでやっていた『金曜娯楽館』(金曜10時!うわさのチャンネル!!の後番組)で、件の兄弟子と私は、所が主役のコントを書いていたのである。所はコミックソング上がりの出たてで、その新人が主人公のコントを10分も。テレビもおおらかで、まだ人を育てる気概のあった頃だ。その時期の所に、思い出が固定されているから、「所、今、大物」なんて発言をするのだ。

所はもう何十年も前から大物だ。この担当番組の多さを見よ。しかも当たっている番組が多い。

『所さんの目がテン!』(日本テレビ)

『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ)

『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(日本テレビ)

『所さん!大変ですよ』(NHK)

『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』(テレビ東京)

『所さんお届けモノです!』(毎日放送)

『ポツンと一軒家』(朝日放送)

『所JAPAN』(関西テレビ)

所は人に嫌われないという特技を持っている。しかも、ものづくりと自動車好き、そんなライフスタイルまで支持を受けている。奥さんと2人で並んでビデオを見る趣味は今も変わらないだろうか。見ていて不快に感じない人が少ない司会者としては随一である。

私は所と、『夜はタマたマ男だけ!! 』(1985年フジ)では、宇崎竜童さんのサブ司会として、『所さんのただものではない! 』(1985年フジ)ではメイン司会として一緒に仕事をした。当時から、タメ口で話しても良い雰囲気だった。あれからあれよあれよという間に35年。所はビッグであり続けた。

しかし、所は実力もある。『世界まる見え!テレビ特捜部』を立ち上げた敏腕プロデューサーによれば「編集するところが一つもない、全部使えるコメント」と絶賛されるという秘密も持っているのである。長い収録は大嫌いな所。この絶賛はすばらしいことだ。

 

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