<出生数が過去最少98万人>偏った「男女平等」社会が出生数を下げている

社会・メディア

水野ゆうき[千葉県議会議員]
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年末につれ、新聞の見出しは1年の世相を表すタイトルが躍る。1週間ほど前、一面に「出生数初100万人割れ」「10年連続自然減」などといった少子高齢化を象徴するようなヘッドラインが踊っていたが、これには違和感を覚えた。
2016年に国内で生まれた日本人の赤ちゃんは過去最少の98万1000人(前年比約2万5000人減)で、100万人を初めて割り込む見通しになったと厚生労働省は発表した(人口動態統計の年間推計)。死亡数が出生数を上回る自然減も過去最多の31万5000人で、自然減は10年連続となったことから、政府は子育て支援の充実などに力を入れていくという主旨を改めて述べた。
「子どもを産むこと、育てること」について、筆者は未婚の働く女性として思うところがある。
そもそも、筆者はこれまで「男女は同権ではあるが同質ではない」ということを主張してきた。毎月の生理や出産がある女性が、男性と同様に働くということは体力的にも体の構造的にも非常に厳しいからだ。
しかしながら、一部で偏った「男女平等」が蔓延し、女性も男性と同様に身を粉にして働かざるを得ない職場が現実として存在する。女性特有の身体構造に鞭打って無理に働き続け、婦人科系の病にかかる女性も少なくない。どんなに体調不良であろうと男性と同じように働かないと出世の道が閉ざされる可能性もある。また、産休や育休から職場に復帰する際の処遇や雰囲気に、不安を覚えたりすることもあるだろう。
日本は女性が仕事を優先せざるを得ない社会構造へと変化し、結果として平均初婚年齢は男性31.1歳、女性29.4歳(2015年時点)と晩婚化が進んだ。その裏返しとして未婚女性も増加の一途をたどり、出産適齢期の女性が減少している。
これらの背景には、初めから男女が同じ処遇で働くことが「当たり前」である欧米と異なり、日本は女性が権利を得るために70年間闘ってきた歴史がある。まずは女性が無理やり職場に入り、世界の時代の流れとともに社会通念と理論だけを先行させてきた。
しかしながら、意識や環境などのスピードが、実態や現実に追い付けていない、というのが日本特有の女性の社会進出だ。このような構造自体に、そもそもの不手際があるのではないだろうかと筆者は推測している。
【参考】<女性議員の「おしゃれ」の是非>女性政治家が「女性らしく」振舞うことは許されるか?
更に見逃せないのがネットの普及だ。
インターネットには情報がふれているが、その情報にはマイナス要素も多い。やはり、幸せな人があえてネットの掲示板やネットコメント、SNSなどにマイナス情報ばかり書き込んでいるとは思えない。読む側だって同様だろう。
結婚、妊娠や出産、育児に関するネット記事やサイトは不安を煽る。信ぴょう性が低くても、過激でショッキングな記事は閲覧数やアクセス数も上がる。それらが仕事と結婚・出産などに関して不安や悩みを抱えている多くの女性たちへ及ぼす影響は決して小さくない。それが単なる「便所の落書き」程度の記事であったとしても、だ。
事前に負の情報だけがインプットされすぎてしまうと、結婚や育児に魅力を見い出せずに、経済的な問題からも女性が仕事に没頭してしまうケースが私の周りでも多々見受けられる。
我々働く女性自らが声をあげるべきは、無理やり「女性を〜%管理職に就かせる」「議会の〜%を女性議員にする」・・・といったようなことではないはずだ。
男女が共に、お互いの権利を尊重しながらお互いの身体構造を慮り、同等の能力の男女を比較する際に性別によって差別をしないという社会を構築することが大切なのだ。
その前提としてハード面では保育所等の環境整備や充実した福利厚生、そして男女共に意識改革を進めていくということが最終的に少子化の歯止めにつながるように思う。
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