<笑いには不謹慎も必要>「めちゃイケ」は東日本大震災を笑いに変えられるか?

エンタメ・芸能

高橋維新[弁護士]
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2016年3月5日のフジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」はなんとも一言では説明しづらい内容の企画だった。
タイガーマスクに扮した岡村隆史が、マイクを持ち、矢部浩之と一緒に「めちゃイケ」メンバーを含めた様々なタレントに突撃する。岡村が、そのタレントにマイクを向けて、

「何か言っとかないといけないことがあるでしょう?」

と事情を知っているかのごとく物言いで尋ねる。アポなしで「めちゃイケ」に突撃されるというプチドッキリを喰らっタレントたちは、

「もしかして、アノことがバレたのでは?」

と勝手に勘繰って、聞いてもいない暴露ネタをベラベラと喋り出すという流れである。この暴露ネタがどぎついものであればそれだけで笑いが起きる。大したものじゃなければ、岡村や矢部が「なんやそれ」ツッコむことでやっぱり笑いが起きる。これが、一つ目の笑いである。
そうして暴露ネタを散々しゃべらせた後に、岡村が「それじゃない」と指摘する。これを受けて、言わなくてもいいことを言ってしまったタレントが、「しまった」というようなリアクションをする。ここで二つ目の笑いが起きる。
暴露ネタでとる笑いという意味では、同じ番組の「恋のかま騒ぎ」というコーナーにも似ている。ただこの企画はそれだけではなく、タレントにわざわざ自分で暴露をさせることで、岡村のネタばらしの後に恥ずかしがるリアクションを生み出すことができ、もう一つ笑いを追加できるのである。優秀な企画と言っていいだろう。
タレントたちが岡村から誘導されて、迷いつつも自爆していく様は、ガチなのか台本通りのコントなのかは判然としないが、筆者はガチの可能性の方が高いと考えている。
さて当然、大オチは「岡村が本当は何を言わせたかったのか」という部分のネタばらしである。ところがこれは、約1週間後に控えた3.11についての応援メッセージを言わせたかったということだったので、笑いにはなっていなかった。
今回、岡村が突撃しているタレントは20人以上おり、これだけ「間違い」のフリを重ねていると、並大抵の内容では笑いにつながらないので、難しいのは確かである。
「3.11についての応援メッセージ」という答えは、万人の納得を得られるという意味では非常に良いのだが、せっかくの「めちゃイケ」なのでここでも笑いに行って欲しいところである。
さて今回のオンエアを見ればわかるのように、「めちゃイケ」は、東日本大震災以後何年も3.11の時期には東北の応援企画をやっている。しかし、いずれも感動を軸にまとめた企画であり、笑いがない。これは、「めちゃイケ」の逃げであろう。
笑いは、「ズレ」から生まれる。3.11で被害にあった人は、津波で家を流されてしまったという「ズレ」や、原発のせいで故郷を追われたという「ズレ」を持っている。ただ、これを笑おうとすると、この国では「不謹慎だからやめろ」という声が飛んでくるので、思うように笑うことができない。
もちろん、被害者自身が笑われることを望んでいないのであれば笑うべきではない。ただ、被害者たちを笑うことができない結果、彼らに接するときもどこかよそよそしい態度になってしまっているのも事実だろう。目の前にデブがいるのに、デブを笑うことができず、腫れ物に触るように扱うことしかできないのである。
一方で、むしろ笑ってくれた方が、気が楽になるという人もいる。ところが、笑われてもいいと思っている人を笑った場合でさえも、無関係な第三者が余計な気を利かせて「不謹慎だからやめろ」という圧力をかけてくることがある。
この圧力を除去するのが、常にギリギリを攻めてきた笑いのトップランナー「めちゃイケ」の役目だろう。どうせ東日本大震災を扱うのなら、周囲の圧力に負けて感動に逃げるのではなく、被害を笑い飛ばしてほしいのである。
東日本大震災から時間が経つにつれ、物的な復興のみならず、心の復興ということが言われるようになっている。被害を笑えるようになったときに、初めて心の復興は完了する。この瞬間が訪れるまで、復興は真の意味では完了しないのである。
そういう意味では、阪神淡路大震災はおろか、関東大震災ですら被害を完全には笑い飛ばせるところにまでは来ていないというのが筆者の印象だ。

「おまえのひいひいじいちゃん、安政江戸地震で全財産失ったんだってな(笑)!」

東日本大震災で同じことが言えるようになる日が来るのはいつのことだろうか。まだまだ時間はかかるだろうが、一人一人が心がけることでこの日の到来を早めることはできる。
自分のことを笑われてもいいと思っている被害者の気持ちを一切考えずに圧力だけかけてくる「不謹慎厨」に、負けてはいけない。
 
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