敗戦後日本政治三筋の光明

政治経済

植草一秀[経済評論家]

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高市内閣の支持率が高いとされるが、メディアの偏向抜きにこの現象を説明できない。

24年と25年の国政上最大の課題は「政治とカネ」だった。「政治とカネ」を軸に政局が揺れ動いた。自民は24年総選挙、25年参院選で大敗。「解党的出直し」を迫られた。

そのなかで誕生したのが高市内閣。真っ先に掲げるべきことが「政治とカネ」への抜本対応。しかし、高市内閣は「政治とカネ」を闇に葬った。メディアが高市氏に集中砲火を浴びせる局面だった。ところが、メディアは「政治とカネ」問題が存在しないかのような対応を示し、高市新体制絶賛を始めた。朝鮮の「喜び組」に類似する対応を示したのである。その結果が公表されている支持率だが信頼に値しない。

この図式は2002年の小泉純一郎内閣、2012年の第2次安倍晋三内閣と酷似する。基本背景は米国の工作だ。米国は自国の利益のためなら何でもする国家。正義と公正の真逆に位置する国家である。今回のベネズエラ軍事侵攻・大統領夫妻拉致監禁は米国の本質を改めて鮮明に見せつけている。

日本は敗戦後、米国の支配下に置かれた。80年が経過したいまも変わらない。特記すべきことは日本の主流政治勢力が率先して米国に対する隷従を選択していること。だから、米国による日本支配が終わらない。だが、敗戦後の日本で真の自立を指向することがなかったわけではない。

敗戦後の日本に光が差し込んだことが3回あった。

1回目は1947年。片山哲内閣が誕生した。
2回目は1993年。細川護熙内閣が誕生した。
3回目は2009年。鳩山由紀夫内閣が誕生した。

片山哲内閣誕生から細川護熙内閣誕生までが46年。細川護熙内閣誕生から鳩山由紀夫内閣誕生までが16年。鳩山由紀夫内閣誕生から現在までが16年超である。2026年は4回目の黎明に向けて始動する年になる。

1947年の片山哲内閣誕生は45年から47年の占領統治の果実である。45年から47年に「戦後民主化」が一気呵成に成し遂げられた。この「偉業」がなかったなら戦後の日本は暗闇に陥っていた。占領統治を主導したのがGHQのGS(民政局)だった。

日本民主化を主導したのは「ニューディーラー」と呼ばれる人々だった。戦後民主化を一気呵成に成し遂げ、その集大成としての日本国憲法が施行された。その「戦後民主化」の果実が片山哲内閣誕生だった。しかし、1947年に米国の基本路線が大転換。連動して占領統治の基本路線が大転換。いわゆる「逆コース」である。

米国は日本民主化を中止し、旧来の支配層を活用する旧政復古に転じた。この流れが初めて打ち破られたのが1993年だ。きっかけは「政治とカネ」だった。小沢一郎氏が主導して遂に政権交代が実現した。だが、旧来政治勢力の巻き返し工作によって新政権はわずか1年で終焉した。その細川政権誕生から16年の時間が経過して樹立されたのが鳩山由紀夫内閣だった。

[植草一秀の公式ブログ『知られざる真実』はコチ

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