テレビ番組に出演する「仕切る人」の価値って何?

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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およそ、ドラマを除くすべてのテレビ番組において、必要な出演者は2種類しかない。「仕切ることで価値のある人」と「存在することで価値のある人」である。
両方が出来るスーパースターもいるが、そのどちらにも当てはまらない人は退場すべきである、とは筆者の持論だ。このことは、いろんな場所で発言してきたし、書いてもきた。
本稿では「仕切ることで価値のある人」(以下、仕切る人)のことについて書いてみたい。
まず、仕切る人の仕事はタイムキープではない。主な仕事は「存在することで価値のある人」(以下、存在する人)の魅力を最大限に発揮させることである。
たとえば「存在する人」は、ときに、番組の進行に破調をもたらす。「仕切る人」は、その時「しめた」と思うべきである。「進行の邪魔をした」とは、どんな場合も思ってはいけない。その破調が面白ければ長く喋らせ、つまらないと思ったときは「存在する人」の息継ぎの間に言葉を挟んで終わらせるないしは、話を落とさねばならない。
これは「仕切る人」が、スタッフ出演者含めて全員に信頼されていなければ出来ない。結婚式の素人司会者や雇われ司会者は、新婦の上司の会社自慢の長話を切ることは出来ない。
【参考】<降板には必ず理由がある>テレビ番組出演者が干される25の理由
タイムキープだけに躍起になっている「仕切る人」を時々見かける。必要がない。生放送なら時間が来れば終わる。収録ものなら客やスタッフが飽きていると感じたら終われば良い。
「仕切る人」に必要なのはあらゆる種類の度量だ。
番組を見ていて「仕切る人」が、人間的に「嫌いな人」と同席していると感じることがある。テレビは、ふしぎなことに場の空気感をも映し出してしまうので、それを悟った見ている方は嫌な感じがする。嫌な感じはなにより視聴率の敵だ。なくさなければならない。見ていて嫌ではない、消極視聴の番組は、実は、つよい力を持っている。
「仕切る人」が「嫌いな人」は、何故キャスティングされてしまったのだろう。スタッフがうまくいってないのだろう。番組の主人が存在しないのだろう。
テレビはそのことさえ映し出すことがある。怖いメディアだ。
よく「演者が一番」ということを言う。演者が面白くないと思っていることはいくら企画が良くても、面白くならないのは確かだ。
でも、「演者が一番」を、「何でもかんでも演者の言う事を聞けばよい」のことだと、勘違いしているスタッフがいる。「演者とよく話し合う」というのが「演者が一番」の本当の意味であるはずだ。
 
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