<増殖する「AKB疲れ」の危険性>AKBは「疲れ」を回復する新たなビジネスモデルを見つけ出す?

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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何者かを「何らかの分野で1位にしよう」として、身銭を切ったことがあるだろうか。筆者には思い当たらない。
「AKB総選挙」のことである。朝日新聞によれば投票総数329万票、昨年を60万票も上回っている。20歳の男子大学生は牛丼屋でアルバイトして20万円分も投票したという。ひとり1票ではないので、金があればあるほど沢山投票できる。男子学生は20万円分の投票動機について、

「金銭的には厳しいが、自分が応援したメンバーの活躍の場が広がる。その喜びには代え難い」

と言っている。運営側は姑息なビジネスモデルを考えたとは思うが、男子学生の投票動機は理解し難い。
国会議員、自治体選挙、これはひとり1票だから、身銭を切って票を買ったら犯罪である。昔は高額納税者しか、投票できなかったが、今のような普通選挙になって良かったと思う。
競馬ファンの友人が「好きな馬に勝って欲しくて祈る気持ちで単勝をどっさり買うことがある」という。筆者は競艇ファンだが、競艇ではそんなことはあり得ない。単勝をいっぱい買うと競馬と違って買う人が少ない競艇ではオッズが下がってしまいかねない。
競艇では金を儲けたくて舟券を買うばかりだ。競馬ファンの友人は筆者に「競艇にはロマンがない」と言った。とすると「AKB総選挙」にはロマンがあるのだろうか。
「身銭を切っても惜しくない」と言うときがある。筆者は10万円出して、長谷川伸(小説家・劇作家:1884〜1963)の全集を買ったことがある。これは確かに、

「金銭的には厳しいが、自分が長谷川伸の劇の構造を理解して、自分の劇作に生かせるなら、その喜びには代え難い」

であるが、これは実質的な見返りを求めているので「AKB総選挙」とは違うだろう。
それにしても、彼女たちのランク発表後のスピーチは実にそつが無い。時に泣きながら、自分に投票してくれた人に感謝し、自分の目標を発表し、そして、必ず挿入されるのは、

「自分ひとりではできなかった、みんながいたから」

と言う仲間へのメッセージである。彼女たちが歌う歌のメッセージもこれと大差ない。
最近、会議でAKBの名が挙がると「AKB疲れ」という反論がよく聞こえてくるようになった。筆者はそれを傍観しているのだが、きっと、AKBは「疲れ」を回復する新たなビジネスモデルを見つけ出すに違いない。
「AKB総選挙」は他律的に与えられたハザード(危険)ではなく、自分たちが勝手に導入したハザードだ。つまり、このハザードはなくてもよいハザードで、20万円の男子大学生はそのことに気づいていない。
古代ギリシアに「陶片追放」(オストラキスモス)と言う制度があったことは世界史で習ったことがある。古代アテナイで、革命や暴動で首座に着くものが現れるのを防ぐために、その恐れのある人物を投票により国外追放にした制度である。
これを何とか「AKB総選挙」に導入したら面白いと思うんですが。
 
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