稲田防衛相が必死に守るのは自衛隊員の安全ではなくPKO派遣
両角敏明[テレビディレクター/プロデューサー]
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ネットでトモチンと呼ばれる稲田朋美防衛大臣は弁護士です。しかし失礼ながらあまり優秀な弁護士さんではないのかもしれません。言葉にスキがあります。
陸上自衛隊南スーダン派遣部隊の日報問題について、日報中に「戦闘」という言葉が再三使われていることから、衆院予算委員会で野党からPKO参加五原則に反する「戦闘」が起きていたのではと追求されています。稲田防衛相はこう答弁しました。
『事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている』
「戦闘」と言うと憲法9条の問題になるから「武力衝突」という言葉を使っている、と正直に言ってしまったわけです。野党は、ならば「武力衝突」という言葉の示す事実は「戦闘」ではないかと突っ込むのは当然です。これに稲田防衛相はワンパターンの苦しい答弁を繰り返します。その大意は、
『「戦闘」には一般的な意味と法的な意味がある。日報に記されているのは一般的な意味の「戦闘」であって、法的な意味での「戦闘ではない。法的な意味における「戦闘」は国もしくは国に準ずるものによる国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為を指す。よって南スーダンにおける殺傷および破壊行為は法的な意味での「戦闘」ではない』
では日報にはどのような状況が書かれているのでしょうか。
『10・11日も戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘が駐屯地域周辺で確認される等、緊張は継続』
『宿営地周辺での射撃事案に伴う流れ弾への巻き込まれ、ジュバ市内での突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要』
稲田防衛相の言う一般的な意味であれ、法的な意味であれ、こうした「戦闘」が事実として起きており、これに巻き込まれる危険があるとはっきり書かれています。実際にこれらの「戦闘」からPKO派遣中国軍の兵士2名が死亡、多数が負傷しています。
【参考】<政治家の発言の真偽を問う>朝日新聞のファクトチェック=事実確認に期待
政府は憲法9条が「国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」を禁じていると解釈していますから、これに巻き込まれる危険があれば派遣部隊を撤収させなければなりません。
そこで稲田防衛相は、日報にある南スーダンでの7月の「戦闘」は大統領派軍と副大統領派軍の国内衝突であって「国もしくは国に準ずるものによる国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」という法的な戦闘ではないからPKO参加五原則に反しない、という一点にすがって防御線としているのです。戦車や迫撃砲での戦いをOKと言うなら、同じ勢力間で爆撃機とミサイルを用いた戦いがあってもOKということになりませんか。
ではPKO参加五原則は何のための原則なのでしょうか。合憲性への担保はもちろんですが、国会で議論されてきた柱の一つは派遣される自衛隊員の安全確保です。
駆けつけ警護などを可能にするPKO法改正の国会審議でもPKO参加五原則は変わらないから自衛隊員は安全だと政府は繰り返し強調していました。しかしいくら合憲と強弁したところで、ひとたび自衛隊員の命が安全かどうかの問題に立ち戻れば、一般的な意味の「戦闘」であろうと、法的な意味の「戦闘」であろうと自衛隊員の危険に変わりがあるはずもありません。
一連の議論を自衛隊員やそのご家族はどういうお気持ちで聞いているのでしょうか。お怒りか、呆れているのではないでしょうか。
今回の日報問題に関して、制服組のトップである河野克俊統合幕僚長は、
『目の前で弾が飛び交っているのは事実だ。そういう状況を彼らの表現として「戦闘」という言葉を使ったと思う』
と語っています。現場の心情を汲み、戦闘という事実は事実という思いを滲ませた発言と思えるのですが。
現在の陸上自衛隊南スーダン派遣部隊は約350名、隊長は中力修一等陸佐。一等陸佐は陸将、陸将補につぐ第3位の上位者です。この部隊の上位部隊は4500名の隊員を擁する中央即応集団です。司令官は小林茂陸将。
この中央即応集団は特別な部隊です。有事即応とPKOなど国際協力派遣を担うため、司令官は稲田防衛大臣から直接の指揮、監督を受ける直轄部隊なのです。
【参考】麻生元首相「みぞうゆう」の上を行く安倍首相「でんでん」
問題の日報は現地部隊から上位である中央即応集団へ上げられるものです。現地部隊の幹部がチェックしていないはずはありません。
これを受けた中央即応集団は独自に「モーニングレポート」を作成します。これを中央即応集団の幹部が読んでいないとは考えられません。そして、そのいずれにも「戦闘」という言葉が使われていました。
陸上自衛隊で国際平和協力活動を担当する中央即応集団は言わばPKOの専門家です。当然PKOと憲法9条との関係にも知悉しているはずで、9条が禁じる「国もしくは国に準ずるものによる国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」という文言や「戦闘」という言葉にはかなり敏感であるはずです。
にもかかわらず日報にある「戦闘」という政治的に微妙な言葉を専門家である幹部全員が無神経に見逃すものでしょうか。自衛隊、とりわけ中央即応集団がそれほど脳天気な集団とは考えられないのですが。
事実として戦車と迫撃砲による激しい「戦闘」があり、中国兵多数が死傷しているにもかかわらず、稲田防衛相が「南スーダンは参加五原則に合致している」、「部隊は安全」などと国会で無理な理屈を言うのは、「目の前で銃弾が飛び交う」現場で命がけの任務を遂行している隊員とご家族の実感とは相容れないもののように感じます。
加えて、稲田防衛相は就任以来、網タイツにダテ眼鏡などファッションには大いに気遣いされながら、急に南スーダンPKO派遣部隊の視察を行って靖国参拝をしない言い分けづくりだと批判されたり、白の綿パンなどで閲兵するなどの振る舞いが一部に不興をかっています。国会でもたびたび答弁に窮し、安倍総理が助け船答弁に立つ過保護ぶりもしばしば、また時には涙さえ見せるなど、安定感に欠けています。
さらに、廃棄したはずの日報が見つかったことを稲田防衛相は一ヶ月も知らせてもらえなかったことも明るみに出ました。大臣としての存在感の軽さが露呈しています。
これらを含めて、今回のできごとは、「戦闘」の現実と隊員の安全への思いを示さない稲田防衛相に対して、自衛隊の現場が示した不満と不信感の表れではないか、と言ったら邪推と言われるでしょうか。
それが邪推だとしても、南スーダン派遣部隊は命を曝して戦うために派遣されたわけではないのですから、隊員の安全を守ることは命令権者である稲田防衛相の重大な責務です。しかし国会答弁で稲田防衛相が無理な言葉の言い換えで必死に守っているのはPKO派遣もしくはこれを推進する政府の方針であって、けっして派遣した自衛隊員の安全ではなさそうです。
ファッションセンスが評価される政治家が増えるように努力しているとおっしゃる稲田防衛相ですが、そんなことはどうでも良いのです。自衛隊員は命がけの任務を強いられます。その長が何を着ようが、眼鏡をかけていようがいまいが、野党の追及にまともに答えられず、時に涙まで浮かべるような能力と人間性では、きわめてシリアスな任務を担う組織を統制していけるのか大いに不安です。
もし、有事発生やPKO派遣に万が一のことが起きた場合、これに即応するのが陸自中央即応集団です。そしてその司令官たる小林茂陸将を直接に指揮、監督するのがだて眼鏡の稲田朋美防衛大臣なのです。
いくらかばってみても、安倍総理の眼鏡違いは明らかなのでは・・・。
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