もったいぶった大人ほど「創造性」から遠い -茂木健一郎

社会・メディア

茂木健一郎[脳科学者]

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詩人のアンドレ・ブルトン(1896〜1966)が創始した「シュルレアリスム」は、「意味」の支配からの離脱の試みだったとも言える。今日においては、「シュルレアリスム」はブルトンらに加えてエルンスト、ダリ、マグリットらの画家のイメージが強いが、スタートは「言葉」だった。

シュルレアリスムにおいては、「オートマティスム」(自動筆記)が手法として重視された。意味を確定する意識の介在をできるだけ排除して、自分の中から出てくる文字列をそのまま作品とするのである。

パリのパンテオン近くのホテルには、「ここでシュールリアリスムが誕生した」というプレートがあり、オートマティスムの手法が初めて試みられたことを記念している。今日においては歴史的な意味しかないが、創造性のプロセスについての一定の洞察を与えるとも言える。

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創造性においては、意味の支配から逃れることが必要である。もともと、「意味」は、神経回路網の中のユニットの相互関係から創発的、自律的に生まれるものであり、最初から外界にあるわけではない。したがって、固定されたものとして意味の体系をとらえるのは創造的ではない。

オートマティスムは、多くの場合ナンセンスを生み出すが、ナンセンスと新しい意味は近い関係にある。新しい創造は、しばしばナンセンスととらえられる。ナンセンスなものを意識の介在なしに生み出すことと、創造性の関係は深い。

子どもはナンセンスなものを見ると笑うが、それだけ自律的な創発に近いところにいるのである。一方、さまざまな意味の体系にからめとられている大人は、ナンセンスを拒絶したり怒ったりする。もったいぶった大人ほど、創造性から遠い存在はない。 

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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