<ノンフィクションの種:テレビ番組の導入に正解はない>ギリギリの資金繰りを撮らせてくれた車椅子づくりの社長
高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
テレビ番組の導入をどうするか?ということは毎回いやというほど考えてしまうことだ。見るほうの立場から考えると、そそらないものは見ていたくない。ではどういう導入がいいか、といって正解が決まっているわけではない。
導入は番組の始まりばかりではない、コーナーの始まりも一緒だ。なんとなく始まり、見ていればわかるよという投げやりなつくりでは、やはり面白くなっていかない。
「社長」をテーマにした番組を作っていたときの話だ。リサーチで上がってきたネタに車椅子を作る会社の社長があった。いかにも地味だった。それに短い時間では仕事の難しさは伝わらない。地味なネタが長い、これは最悪だ。避けるのが一番だろうと思った。
しかし、会ってみると若いけれど魅力的な人だった。「こういう儲からない小さな会社では人探しが大変です」そんなことを言いながら入社試験のことを話してくれた。
「入社試験のときはまず一緒に飯を食べるんです。そんなに何人も応募してくることもありませんから。一緒に食べるのです。どんなことを話すか、どんな話し方をするか、そんなことを考えたらこの会社に残ってくれるような人は取れません。一番早く飯を食う人を採用するのです。黙っていても良い、早く食べる人は定着してくれます。飯を食べ終わったら入社試験は終わりです」
丁寧な仕事をする人だということは仕事ぶりを見ているとすぐわかる。だが、人が関心を持つような導入は作れそうになかった。いきなり採用が難しいという話をしても視聴者には伝わらない。
他に何か視聴者が関心を抱くネタはないか。会社経営が難しいことは何度か聞いた。人繰りだけではなく資金繰りも大変だという。「資金繰りを撮らせてもらえますか?」と、思い切って聞いてみたが、「良いですよ」とあっけらかんとしていた。しかし内心は逡巡するところがあったと思う。なんとしてもテレビに出たいというようなタイプの方ではなかった。伝えたいことがあったのだろう。
通帳も見せてくれた。月末の午後3時には銀行に駆けつけ、ぎりぎりの入金をする。毎月のことで慣れっこになっているという。その様子も撮らせてくれるという。いやな顔も見せずに。
これで導入は出来ると思った。関心さえ持ってもらえれば番組は見てもらえる。
後は本業の撮影だ。車椅子が出来上がるとお客さんのところに届ける。それからが大変だった。お客さんはリューマチの患者の女性だった。足がうまく動かなくなっていて、痛みが強い。家はバリアフリーにもなっていなかったので、家の中の車椅子と外とが違う。家の中で動ける車椅子が必要だった。
サイズは測ってあったが使い方は人によって癖がある。直さなければうまく使えない。だから現場で直す。直らないものはまた持ち帰る。長さ、幅、微妙のものがサイズどおりには行かない。これは時間がかかると思った。だからといって値段を高くすることが出来るわけではない。手間ばかりかかる仕事だった。
それなりの画は取れたという実感はあった。放送は無事終わった。
それからずいぶん経ったがこの会社がどうなったか気にかかる。なぜ金繰りなどを撮らせてくれたのかと今も疑問に思ったりする。使い勝手の良い車椅子を作る現実を本当に知ってもらいたかったのだろうな、と思う。それでなければ資金繰りなどをいやな顔ひとつせずに撮らせてくれるはずもない。
そういえば放送が終わって何年かしてからもその人のことが気になって錦糸町の工場まで行ったことがある。しかしその時もう工場は元の場所にはなかった。真剣に探せば移転先を見つけられたかもしれない。しかし、特段、用はなかった。
今、工場が手狭になって寡黙でも早く弁当を食べ終わる人が増えて別な場所で操業しているだろうと思う。あの時は車椅子を作るのは社長一人だったが、今、寡黙な人の中に腕を上げて社長と一緒に作っている人がいる・・と願う。こんな会社があっても良い。
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