<芸能人で売れるのはメジャー顔>メジャー顔が全くいなかった2019年M-1 

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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テレビ、とくに地上波テレビでは、売れる芸能人は「メジャーな顔」を、持っていなければならないと筆者は思っている。

顔にはメジャー(Major)顔と、マイナー(Minor)顔があるが、これを誤解なく区別してもらうには、メジャーとマイナーを定義しておく必要があるだろう。この場合のメジャーとマイナーは、もちろん「大と小」ではない。有名無名でもない。一流二流でもない。

一番近いのはメロデイにおける長調短調である。かといって長調は明るく、短調は暗い・・・と言いきってしまってメジャー顔が明るい顔で、マイナー顔が暗い顔に分類してしまうと、その割り切りもちょっと違う。暗い顔でメジャー顔の芸能人もいるからである。

具体的な話をしてみよう。

ラビット関根と言う芸人がいた。言わずと知れた今の関根勤である。この芸人はラビット関根でデビューしたときは典型的なマイナー顔であった。ところがテレビに出続けているうちに、一流のメジャー顔に変わった。つまり、マイナー顔はメジャー顔に変わりうるのだ。だから、問題はややこしい。

「テレビで売れるのはメジャー顔だけだ」

そんなことを今さら考えてしまったのは、2019年12月22日放送の『M-1グランプリ』を見たからだ。決勝ラウンドに残ったミルクボーイ、かまいたち、ぺこぱ、和牛(敗者復活)、見取り図、からし蓮根、オズワルド、すゑひろがりず、インディアンス、ニューヨークの十組・・・その中には見事に誰ひとりとして、メジャー顔の人がいなかった。

「これは困ったことになった」

ただの視聴者である筆者は審査員やスタッフ上層部のことを考えて、頭を抱えた。メジャー顔の人が一人もいないとなると、雰囲気票を入れることは出来にくいから、ネタの出来そのものを評価するガチンコ勝負になる。ガチンコ勝負はおもしろいが、誰がグランプリを獲っても、テレビで使い安い芸人は誕生しない。

[参考]高橋維新の「2019年M-1決勝・全批評」テレビ的に売れる人は?

かつてはグランプリが取れなくても次点の者などにメジャー顔が居て、事なきを得たケース(2008年オードリー、グランプリはNON STYLE。オードリーの場合は、メジャー顔は若林でマイナー顔が春日なのだが、この点は後述)もあるが、今回はそれがない。

和牛もかまいたちもマンザイのネタ及び技巧はともに一級品である。だが、マイナー顔なのでテレビバラエテイのエンターテインメントで主役を張るのは難しい。ミルクボーイもしかり、この人達は劇場で達者なマンザイの公演を続ける一流漫才師になるだろう。すゑひろがりずは、2020年の正月のみ(あるいは以後の正月の恒例行事として)、今は亡き伝統太神楽(だいかぐら)師、海老一染之助・染太郎の「おめでとうございます」のあとを襲って、季節的な華々しさを披露するだろう。だがテレビの人気者にはならない。

昨年のグランプリ霜降り明星は、せいやも粗品も、ともにメジャー顔だから、あれだけのテレビ寵児になれたのである。

オードリーの若林はメジャー顔で、春日はマイナー顔だと述べたが、筆者の言うメジャー顔の定義は不快感がないことでが重要である。春日は、気持ち悪さが売りなのでメジャー顔では、ありえないのである。

落語用語で、あの芸人には「フラがある」という言い方をする。これは「持って生まれたおかしさや愛嬌」のことで、ふっと笑いたくなるようなおかしみ、心が締め付けられる悲しみを持っていることでもある。横山やすしや、往年の、『THE MANZAI』の、脂がのりきっていたときのビートたけしにはこれがあった。だから、おそらくだが、即物的な分類であるメジャー顔マイナー顔とは違うのである。

「新しい地図」で言えば香取、草なぎは、メジャー顔。稲垣はマイナー顔。おんな芸人で言えばゆりやんレトリィバァ、渡辺直美は、メジャー顔。大久保佳代子、ブブルゾンちえみは、マイナー顔。

筆者の好きな千鳥はノブも大悟も、メジャー顔。くりぃむしちゅーは、上田も有田もマイナー顔。極楽とんぼは加藤が典型的なメジャー顔、山本は、典型的なマイナー顔。

そこで、問題です。ナインティナインの岡村は? 矢部は? これは簡単か。

さて、ちょっと難しいのを。バナナマンの設楽と日村はそれぞれメジャー? マイナー? どちらでしょう。答えは「両人メジャー顔」です。

 

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