<日本はもう戦前?>当たり前のこと言っている「サザン」や「吉永小百合」を快挙と感じてしまうアブナイ状況

社会・メディア

藤沢隆[テレビ・プロデューサー/ディレクター

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メディアゴンの1月5日付の榛葉健氏の記事『<「紅白歌合戦」テレビマンのしたたかさ>サザンオールスターズを出演させ『「ピ-スとハイライト」を選曲した快挙』を読んで即座に頭に浮かんだことは、たまたまその前日に視たNHK総合テレビの『NHKアーカイブス「戦後70年 吉永小百合の祈り」』でした。
この番組について、NHKのHPの番組紹介から以下に引用したいと思います。

「戦後70年」の節目の年となる2015年、「NHKアーカイブス」最初の放送は、日本を代表する女優、吉永小百合さんといっしょに「戦争」について考えるスペシャル版としてお届けする。(中略)映画「愛と死の記録」やドラマ「夢千代日記」で原爆被害の実態に触れたことをきっかけに1986年「原爆詩」の朗読を始め、それから30年にわたって国内外で朗読会を続けている。3.11以降は、福島原発事故の被災者の詩もあわせて読むようになった。(中略)「原爆詩」の番組や原爆関連番組などを放送。さらに、最新の詩の朗読会も紹介しながら、吉永さんに戦争や核の惨禍に対する思いをたっぷり語っていただく。「これからも、ずっと“戦後”であり続けてほしい」、吉永さんの祈りを伝える番組としたい。

桜井洋子アナウンサーによるインタビューという形で過去の番組を視ながら番組は進行して行きます。吉永さんの祈りは、終始そして切々と語られた「これからも、ずっと“戦後”であり続けてほしい」という言葉に集約されていたように思います。
今年は戦後70年の節目ですが、次の戦争をしないかぎり100年後も200年後も「戦後」であり続けます。そのためには、けっして今が「戦前」にはならないようにと願って粘り強く活動を続けている吉永さんの思いが語られた番組でした。
しかし・・・です。筆者が、「テレビマンのしたたかさ」とか「『ピ-スとハイライト』を選曲した快挙」というフレーズからこの『戦後70年 吉永小百合の祈り』を連想したということは、この番組もまた、「したたかなテレビマン」による「快挙」なのでは、と感じていることになります。
サザンオールスターズの『ピ-スとハイライト』も『戦後70年 吉永小百合の祈り』もごく当たり前のことを言っている歌であり番組です。それなのにあえて「したたかなテレビマン」による「快挙」と感じてしまうような世の中やテレビの状況はいささかアブナイ感じがしませんか?
筆者の取り越し苦労なら良いのですが、もしけっこう多くの人がそう感じているのだとしたら、桑田さんや吉永さんの意に反して、日本はすでに「戦前」が始まっているのかもしれません。
 
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