<BS時代劇・浅田次郎原作「一路」>楽しめるけど楽しめない「清く正しい主人公」にはもう飽きた
横塚崇浩[東京作家大学]
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時代劇にある魅力。「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」のようなお約束の物語も、職人芸的な「味」がある。或いは、「切腹」や「侍」のような過去の重厚な作品に心が動かされることもある。
しかし、最近では時代劇が随分と減ってしまった。連続モノとして放送枠を確保している番組はNHK「大河ドラマ」ぐらいだろうか。他には特番として時折、放送される程度だ。
時代劇が減ってしまった要因は、時代劇が視聴率を取れないコンテンツであるからだ。少子高齢化という社会背景を考えれば、時代劇を好むであろう年齢層が増えているはずだが、そうはなっていない。年寄りは一体、どんなテレビを見ているのか。あるいはテレビを見ていないのか。それとも年寄りがテレビを見ても、ものを買わないからスポンサーがつかないのか。
そんな中、NHK「BSプレミアム」にて浅田次郎原作「一路(いちろ)」が全9回に渡って放送された(2015年7月31日〜9月25日)。急死した父に代わり、参勤交代の差配役を務めることになった若侍・小野寺一路。しかし、その裏にはお家騒動を巡る陰謀があり・・・といったストーリー。
様々な困難に直面するが、一路は仲間と協力し、信念を持って立ち向かってゆく。テンプレート的設定の連続ではあるが、久しぶりの本格時代劇でそれなりに楽しめた。しかしながら、主人公がどうにも真っ直ぐすぎる点は気になった。
これは時代劇に限らず、日本のドラマには良くある傾向だが、基本的に主人公は清く真っ直ぐな性格であるという、「少年ジャンプ」的な傾向が強い。そんな人間ばかり見せられていると、さすがに辟易してしまうのだ。
筆者は海外ドラマも好んで見る。特に英国製のものが好きだ。そんな英国製ドラマでは、主人公を始め登場人物たちが非常に屈折していることが多い。コンプレックスや悪意を抱え、或いは独自のルールでもって目的に邁進する、マクベスかリチャード三世のような人物が主人公であることも多い。ドラマを魅力的にする重要な要素だ。
筆者としては、そろそろ日本でもそういった作品を見てみたいのだが、やはりそういったコンテンツでは視聴率が取れないのだろうか。
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