<障害者のメディア消費>障害者プロレスのドキュメンタリー映画「DOGLEGS」

映画・舞台・音楽

小林春彦[コラムニスト]
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マイノリティ(社会的少数派)には感嘆符と疑問符がつきまとう。たとえば、障害者が何か失敗をしたときには「障害者だから(やっぱり!)」。何かうまくいったときには「障害者なのに(どうして?)」。といった具合に。
反応は人によるが、ときにそれがニュースとしてメディアに取り上げられることがある。そしてそのメディアの報じ方によっては、マイノリティに対して固定的なイメージを持つ視聴者が多く現れることがある。
しかし、そのステレオタイプな「一部が全部」とされるマイノリティ像と実像との乖離に疑問を抱く当事者も少なくない。
先日、ポレポレ東中野(東京都・中野区)で、25年の歴史を持つ障害者プロレス団体の何人かにスポットを当てたドキュメンタリー映画「DOGLEGS」を鑑賞してきた。
筆者は、実際に障害者プロレスの観戦に行ったことがある。試合は緊張感に包まれ、身を乗り出し応援する観客もいる。訪れる観客は、ほとんどが健常者であった。
障害者が殴り合うリングの上の「非日常の空間」を映画館というやはり「非日常の空間」でどのように取り上げるのかという二重構造に興味を持って劇場へ向かった。
平日のレイトショーということもあってか、上映時間の前には仕事帰りのサラリーマン風の一般客がチケット売り場の前で多くたむろしていた。
映画は、頑張る人を描いたお涙頂戴のウェット感が無く、ひたすら乾いている。酒を飲み、恋をし、仕事もする。そして家族関係。リングの外の臭い生活感の溢れる「日常」に焦点が当てられていた。また登場するプロレスラーも依存症の精神障害者から脳性麻痺の身体障碍者や女性レスラーと、実に多様な抜擢であった。

「当たり前だけど例えば華やかに見える有名人もスポットが当たるのはその華やかな一面だけで本当は彼らにも一般人と同じ普通の生活がある。リングの上で闘う障害者レスラーにも人それぞれリングの外に日常があるんだよね。」

そう語るのは二分脊椎症の鶴園誠選手(38歳)だ。
障害者の格闘技というリング上の「非日常」とそこに立つ人々のリング外の「日常」の生々しい描写に、障害者も健常者と同じく多様だとはっとさせられる視聴者も多いだろう。
プロレスを通して障害観を変えるリアリティに満ちたアツい作品であった。
 
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