<発達障害と高次脳機能障害>見えない障害を生きる「18歳のビッグバン」
小林春彦[コラムニスト]
***
筆者は18歳のときに若年性の広範囲脳梗塞に倒れ、高次脳機能障害という外見からは見えない難治性の障害を抱えて生きることを余儀なくされました。そんな元健常者としての筆者の半生を、この度「18歳のビッグバン 見えない障害を抱えて生きるということ(あけび書房)」として出版いたしました。
見えない障害といえば、日本では2005年4月に発達障害者支援法が施行され、世間的な認知という点では「発達障害」という言葉が広く知られるようになりました。アスペルガー、ディスレクシア(LD)、ADHD、自閉症、学習障害・・・。メディアや若者の間では「KY」とかコミュ障といった言葉も流行っていたように思います。
実は筆者が脳梗塞を発症したのは2005年の5月で、ちょうど高次脳機能障害となった時期と重なります。
発達障害と高次脳機能障害は、その症例も「外見からわかりにくい」という点でも類似性はありますが、それが先天性のものであるか後天性の脳損傷に起因するものかによって区別されています。
そうした混沌としたなか、多感な18歳だった私は「自分とは何者か」を人に説明できる何かにラベリングされたい、との思いがいつも渦巻いていました。
先天的な能力や性格、後天的な能力や性格を分析し区別するのは、ことのほか困難を極めました。いくつもの医療機関や医学文献に触れ、そして何より自分と向き合う日々が続きます。
ときには、見てそれと分かりやすい障害者を妬んだりもしました。見えない障害を抱えている人は、見て分かりやすい障害を抱える人よりも、何らかの支援や配慮を受けるのに自己説明の責任が求められます。拙著では、そうした筆者の思春期の葛藤を生々しく綴ったところもあります。
そんなとき、筆者には大きな「出会い」がありました。テクノロジーで若者の障害を支援できないかという研究をされていた東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍教授と価値観がマッチし、脳機能障害を抱える人にとっての日本の教育制度を変えることに成功したのです。
5年越しの大プロジェクトでしたが、見えない障害を取り巻く若者の教育現場にも大きなインパクトを与えました。
見えない障害といえばもう一つ。いま日本は少子高齢化を迎えています。筆者には90歳に近い祖父がいるのですが、失語症で言葉が出ません。ただ、本人の意識や知性ははっきりしているところもあります。筆者が思うのは、「見えない障害」を抱える人は、本人の意見よりも周囲の意見が尊重されてしまう、ということです。
たとえば先日、祖父が半日ご飯を抜いたというだけで、夕方ごろに祖母が「きっとおじいちゃんはお腹が空いているに違いない」と祖父の口の中にご飯を詰め込んでいく、という出来事がありました。半日ご飯を食べていない、という「事実」について、祖父は胃痛だったのかもしれないし、そもそも腹がすいていなかったのかもしれないし、ただ腹が痛かっただけなのかもしれない。
ある「事実」に解釈を加えるのは周囲なのか当人なのか。これは、見えない障害でコミュニケーションなどが取り辛い場合、とても難しいことです。
ただ、筆者は人として、周囲に決められた現実ではなく、最後まで自分の現実を自己決定して生きていきたいと思っています。少子高齢化が進み社会保障が破たんするかもしれないといわれている中で、移民を受け入れるのか他の財源を切り崩すのか日本がどのような選択をとるのかは分かりません。
しかし、テクノロジー(ICT)によるコミュニケーション支援の促進やそれを使いこなすスキルを磨いておくことは、「東京オリンピックや東京パラリンピックで日本経済も潤うだろう」といった目先のこと以上に、あの価値観を新たにした18歳以降「見えない障害」を抱える若い当事者として、いまは強く思うのです。
【あわせて読みたい】