古舘伊知郎『MC論』からの偏愛的「司会者論」(4)関口宏、久米宏

テレビ

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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『古舘伊知郎「MC論」からの偏愛的「司会者論」』。ダウンタウン、今田耕司、爆笑問題、加藤浩次、上田晋也、恵俊彰、みのもんたに続く第4回は、関口宏、久米宏である。

*関口宏「(古舘本)ん?そう?で番組が成り立つMC界のミニマリスト」

私は『クイズ100人に聞きました』(TBS・1979〜1992)が始まって数年後に作家の一人として加わった。関口さんに会ったのはその時が初めてである。関口さんも出席する本番前会議までに、いわゆる「頭ネタ」と呼ばれるちょっと笑えるオープニングトークを作家が考える。その頭ネタを担当ディレクターが関口さんの面前でプレゼンする。ディレクターが最も緊張し恐怖に感じる瞬間である。これに対し関口さんがNGを出したり訂正の指摘をしたりする。

関口さんは基本的に台本通りだから、うまく構成された頭ネタなら、本番でも外すことはない。ところがそんな関口さんに私は不満を感じることがあった。せっかくのネタなのに、今ひとつ面白くならない。それは関口さんのやり方に問題があるのだ、と、私は放送作家として独断してしまったのだ。

ある日、台本に大きく「間(ま)」と書いた。ここでしゃべりの間(ま)をとってほしいという願いである。収録が終わって、私は関口さんに怒られた。

「間ってなんだ? 俺は役者だぞ」

間を取るかどうかは、ドラマでは役者が工夫する範疇であるからだ。

怒られたことはまだある。ある企画書を書いていて、司会を役者さんにやってもらいたいと思っていた。楽屋でたまたま関口さんと二人きりになり、それこそ、間が持てなくなって、余計な相談をしてしまった。

「関口さんのようににきちんと大学を出ていて、役者意外の仕事にも興味があって、司会ができる人はいないですかねえ」

「俺は役者やめてないぞ」

と関口さんおっしゃった。明らかな私の失言。

『サンデーモーニング』(TBS)に、話が止まらないコメンテーターがいるらしい。瞬間的に「フレンドパークの笛吹けばいいんじゃないですか」と、言いそうになったが、あのときは飲み込んでよかった。

[参考]古舘伊知郎『MC論』からの偏愛的「司会者論」(3)ダウンタウン、今田耕司、爆笑問題、加藤浩次、上田晋也、恵俊彰、みのもんた

関口さんには、つい甘えてしまうのである。私のように自分からその罠にハマりに行ってしまうのは論外だが、気を抜いてはいけない。雑談でさえ、何を発言するかよくよく考えてからではないと、関口さんと打ち合わせには行けない。そういう思いを感じさせるのは関口さんの人間が大きいからだろう。

*久米宏(古舘本に記載なし)

なぜ、久米さんについて、古舘さんは書かなかったのだろう。久米さんは瞬発力の猛者である。私は『ぴったしカン☆カン』(TBS・1975〜1986)のADとして初めて久米さと出会った。客席センターに座って久米さんにカンペを出すのが仕事だった。その後、放送作家として雇ってもらった。

放送作家になったばかりの頃、久米さんの『土曜ワイドラジオ東京』(TBSラジオ・1978〜1985)に代打で行ったことがある。ピンク・レディに対する100個の質問を考えるのが仕事だった。久米さんは『こいつAD上がりですから、ちゃんとチェックしてくださいね』とスタッフに紹介してくれた。いじってくれて私はすごく気持ちが楽になった。

入社当初、久米さんはTBSで、小島一慶アナウンサーのNo.2という立場だった。『ザ・ベストテン』(TBS・1978〜1989)始め、バラエテイアナとしてどんどん伸して行った久米さんだが、実はずっと報道がやりたかった。だが、当時TBSの報道局は教条的でバラエティアナにニュースを読ませるなどとんでもないことだった。そして、久米さんはTBSを辞めた。

同じ時期に私も制作会社を辞め放送作家になったが、所属したところが同じ事務所オフィス・トゥー・ワンだった。このオフィス・トゥー・ワンも私は辞めるのだが、上の人に断らずに辞めてしまった。「久米宏を取るか、高橋秀樹を取るか」の脅し文句とともに、マネジャーに、私が放送作家をやっているテレビ局を回られたが、結論は決まっているだろう。でも、どのテレビ局も「内政干渉はされない」と、私を守ってくれた。テレビ局にも矜持のあった時代だ。その後も、大好きな久米さんのために『ぴったしカン☆カン』の台本を書くことができた。

番組の企画者・欽ちゃんは『ぴったしカン☆カン』のことを、「これは久米ちゃんの番組だから」といつも繰り返していた。欽ちゃんの企画はガチガチに決まったものはなく、いつも遊びと余裕のある企画である、だから演る人の裁量で大きく振れる。久米さんはその振れを自分のものにしていた。『ぴったしカン☆カン』の司会を面白くできるのは久米宏だけだと、今も思っている。

久米さんが降りてからも『ぴったしカン☆カン』は続いたが、ホニャララの言葉を残して、そのときに『ぴったしカン☆カン』は終わった。私もあまりやる気が無くなっていた。

 

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