<「発達障害とメディア」はどこで学べる?>大学中退だけど大学院博士課程を受けてみた。
高橋秀樹[放送作家]
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満60歳と30日になった1月30日、筑波大学人間総合科学研究科障害科学専攻を受験した。
メディアゴンでも自閉症協会に所属しているプロのライターに寄稿していただいている。それは、発達障害(自閉症スペクトラム、学習障害、注意欠陥/多動性障害)は、社会性の欠如が大きな特徴の一つであるのに、現代ではその社会性をはぐくむのに大切なメディアとの関わりの研究がほとんど行われていないからだ。
人は新聞やテレビや、書籍から大きな影響を受けるが、その影響は当然、発達障害者にも及ぶはずである。ところが、メディアは発達障害への取り組みがきわめて希薄である。知識のある記者も少ない。
発達障害者が事件を起こすと、事件の内容は、その障害特性から。世の中の耳目をひく奇妙な事件になことがある。メディアにとっては奇妙であれば奇妙であるほど格好の餌食になる。メディアはその際、自分の逃げ場を作るために「専門家」という人を起用して、責任をかぶせるが、筆者の見る限り、この「専門家」の人選がきわめて偏っている。
「発達障害のことをこの人は本当にわかっているのか」と、画面にむかって叫びたくなるほどの程度の低い「専門家」が、容疑者に会ってもいないのに診断を下したりする。考えられない事態である。
「なぜ、こんなことが起こるのかを研究して正していきたい」
と筆者は思ってしまったのである。そのためには理論武装をしないといけない、そこで、大学院を受験を志すようになったのである。しかし、「受験」とは言うものの、その道のりは長かった。
筆者は早稲田大学第一文学部を遠くかすむほどの昔に除籍になった。授業料は払ったから、「中退」扱いである。なんとなく「除籍ではないよ、中退だよ」と、その違いに胸を張りたいところだが、どちらであっても最終学歴が「高卒」という事実には違いはないのだ。
大学院を受けようと思った時に必要となるのは「大卒」だ。そこに高卒の筆者には、抜け道は全く思いつかなかった。よって、大学を卒業せねばと、57歳の時に、通信制の星槎大学に入った。ところがそこで、情報交換している内に「当学が大学卒業程度と認めれば大学院が受験できる」と言う制度があることを知った。
そうと知るや、これが唯一の「抜け道」だと思い、星槎大学も中退して、一橋大学と、筑波大学に資格審査を依頼した。両大学からは大学院受験資格をもらった。放送作家・作家としての30年以上のキャリアが評価されたということだろう。しかし、受験資格を認めてもらうことと「合格」は無関係だ。そのため、一橋大学の大学院は書類審査で落ちた。筑波大の大学院は論述試験に合格したので小躍りしていたら、結局、面接で落ちた。
このころ、何か「指導教授」というのが、大学院では必要らしいという話を聞いた。志望書類には指導教授を書く欄があったが、入学後教えて欲しい先生のことだろうと思って、美人の女の先生の名前を書いておいた。そういうことではないというのを知らなかったのだ。
受験前に大学教員と連絡を取って「あなたを私の弟子にしてもいいです」と言う許可を得て書くのが指導教授。通常は指導教授が居ないと受けても受からないのである。
結局、日本大学に開設されていた通信制の大学院を受験し、拾ってもらった。合格・入学後はちゃんと大学院生として単位を取得し、2年間無数のメールのやりとりをして、修士論文受理までこぎつけた。そのときの指導教授は、僕がやりたい分野とは異なっていたが、まだ修士だと言うこともあって論文指導を引き受けてくれた。
修士課程の修了後は博士号を目指すための博士課程(博士後期課程)に進学して勉強を続けようと思っていたので、その指導教員の先生に筆者が筑波大の面接で落ちた理由を聞いてみたことがある。
先生は一言、
「押しが強すぎるんじゃないの」
といった。筆者は押しが強いタイプではないがデブである。押しと言うより圧迫感だったのだろうか。大学院は指導教授という人が居ないとマズい。特に博士後期課程ではダメだ、大学院には入れないと言うことで、今回は改めて丁寧に「指導教員探し」から始めてみた。とりあrず、めぼしい学部や研究科のある大学まず探し、そこの教員の研究履歴などを見て筆者のやりたい研究と合致していると思う研究者にメールを打って、合格の暁には指導教授をお願いできますか。と聞く。
しかし、「発達障害とメディア」を両方やっている先生は、日本の大学では皆無であった。
そこで、心理学系、社会学系、メディア系、コミュニケーション系、表象系片っ端から先生にメールした。全部残っているので数えてみたら32人。全員に断られた。理由は「私の専門ではない」。がっくりである。
専門でないから受け入れてもらえないのなら新しい研究、これまでにない研究をしようとする人は、どこの大学院にも行けないだろうか? と疑問に思った。これじゃ日本には新しい研究は生まれないのではないかと不安にもなる。
理系では「ピペッド奴隷」という言葉もあると聞いた。通称「ピペ奴」。いつもピペットを持って、指導教授の研究の手伝いだけをさせられている大学院生奴隷である。自分の研究はこの奴隷の仕事が終わってからやるしかない。先生の仕事をやらなかったら、博士号はおぼつかない。大学教育の貧困はこんなところにもあるようだ。
メールを打っている間に、おもしろい情報も得ることができた。僕は博士号を取るつもりだったから、そのことをメールに書くと、
「うちの大学からはここ数年博士号を取った人は出て居ませんがそれでもいいですか?」
と言われるのだ。筆者は、もちろん、それではいやだ。大学院が形だけある大学、日本にはたくさんあるんだろうな、と痛感させられた。そういう「大学院の教員を食わせるためだけの大学院」は必要あるのだろうか。
これまでにない研究をしようとする人、学際的な研究をしたい人はどうすればいいか。東大を受ければいいらしい。ここは大学の中の大学という位置づけだから、指導できないジャンルはない、という立場なのである。
東大の志望書には、だから指導教授を書く欄はない。指導教授は後から決まり、複数のチーム制で指導することもある。でもECCに1年通っているものの、勉強しているのはECCに居る間だけで、TOEICで550点を取るのがせいぜいの筆者には東大合格はおぼつかない。
そんな経緯があったが、
「指導教授を引き受けましょう」
という蛮勇をふるって下さった先生が、一人だけ筑波大学にいらっしゃった。今回はそこで受験したのである。
初めて乗った「つくばエクスプレス」はきれいで速い電車だった。だが、筑波大学のキャンパスは非常に入り組んでいてどこがどこだかわからないキャンパスだった。人の動線について研究して居る人は一人も建設計画に参加しなかったのか。都市計画の全くなされていない町のようである。池袋の町の方がまだわかりやすい。
さて、大学院の入学試験の口述試験が始まった。
「書画シート」と言うやつで、書類を投射してまず、15分間の研究計画のプレゼンテーション。筆者はパワーポイントというのが大嫌いだ。1画面に多くても数項目、それをページめくりのように表示しながら、説明していく。まどろっこしくて待っていられないのだ。
パワポの説明が始まると筆者はたいてい心の中で「もっと早く先を見せろ」と、叫んでいる。だから、自分が「書画シート」に写すのは全体像をまとめたたった一枚の紙にした。後はしゃべる、に徹した。
でも、他の受験生が用意しているのを見ると、このやり方は異例であった。書画シートに次々とグラフや資料を写し、パワーポイントのように使うのが普通のようだ。
15分の時間制限。いつもテレビで台本を書いている立場からするとそのタイムキープは楽なものだ。プレゼンで筆者は、
「世界中の人々に自閉症とはこういうものだ、と印象づけた映画はレイン・マンです。ところが、1988年の映画ですから、今の若者には見ていない人も多い。まず、僕はこのレイン・マンを若い学生200人ほどに見てもらい、描かれる自閉症の様態でどこがどのくらい強く印象に残ったかを調べてみたい、このような映像から自閉症の何が印象に残るかを調べた研究は今まで存在しない」
と話した。
後半の質疑応答ではこう聞かれた。
「レイン・マンのような映画で、しかも自閉症の何が印象に残るかという研究は確かにないと思いますが、映像の何が印象に残るのかの研究は行われています。そういう過去の実験例を具体的に一つあげて下さい」
何を聞かれているのか、一瞬意味がわからなかった。
ああ、これは僕が心理学の過去の実験についてどれだけの知職があるかを問うているのだな、と思ったら、何だが反抗心がむくむく沸いてきて、
「自分がやりたいのはそういう研究ではないので調べていません」
と答えてしまった。
「発達障害とメディア」と言うテーマの研究をしたいと思ったのは、日大の修士に入る前のことだが、日大の指導教授は心理学の大きなセクトの一つである行動分析の専門家であった。行動分析は見えない心の中の研究ではなく、心の発露としての、明らかに見える人間の行動のみを研究対象にしようという学問である。
パブロフの条件反射の犬とか、スキナーのボタンを突っつく鳩とかに連なる考え方である。行動分析では人間の行動にはこれを行なわせるための先行刺激が必ずあると考えるのだが、僕はその考え方にどうしても懐疑的であった。「発達障害とメディア」のことは考えるいとまもなく懐疑的な気持ちのまま修士の2年を過ごしてしまった。
そういうわけで筑波大学の博士後期課程を受験したのである。7人の試験官の方がいらっしゃったが、障害科学の先生方だから、障害児を相手にすることも多いはずで、きっと、皆さんにこにこしているんだろうなあ、という期待はすぐに裏切られた。
女性が一人居たが、全員被疑者を取り調べる検事のような顔でこちらを睨んでいる。被疑者として検事を見たことはないので、この比喩は筆者の実体験ではない、と言うような冗談を絶対に入れ込むのが15分もの長い間しゃべるときは聴衆を飽きさせないこつだが、入れる勇気が出なかった。
筆者も芸人や、役者や、素人さんのオーディションであんな怖い顔をしているのだろうか。注意しよう。試験結果の感触は、「首を洗って待つしかない」である。
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