<テレビ番組のタイトルがダサい理由>放送作家35年にして番組タイトル採用はたった3回
高橋秀樹[放送作家]
2014年1月26日
テレビ番組のタイトルで「これは上手い」というものに出会ったことがない。これはドラマを除いた話。ドラマには時々うまいタイトルが登場する。「ふぞろいの林檎たち」などはいいタイトルだと思う。バラエティや、情報番組では皆無である。なぜだろう。
通常、新番組のタイトルは制作現場が、何案か編成局に提出し、会議で、しかも挙手により賛成が多ければ決定する。賛成多数とならない場合は現場に差し戻される。挙手による決定をすること自体が、クリエイティブな仕事の原則に反しているのだが、この現場と編成をタイトルが往復するうちに何度ももまれ、転石のように次第に丸くなり、たいてい、最もつまらないタイトルに決定する。
だいたいタイトルなど、企画者であったり、番組の現場総責任者である(この2者が違う人であることが時々あるのはつまらない大人の事情による)プロデューサーの一存で決めればよいのである。ところがプロデューサーの中にはこのタイトルが何たるものか、どうあるべきなのか知らない人が多いのである。
かく言う私は35年間の放送作家生活で番組タイトルが採用されたことは3回しかない。
- 松居直美、森尾由美、磯野貴理子の20年続くトーク番組の前身『おそく起きた朝は…』
これはユーミンの楽曲「12月の雨」の歌詞からの完全パクリ。代理店の要望はクロワッサンとコーヒーの香りのする番組であった。なんのこっちゃ。おばさんの悩み相談番組、小堺一機の「いただきます」の後継サイコロトークの『ごきげんよう』。挨拶言葉の中で残っているのはこれだけだった。若き明石家さんまが回答者を務めていた『エ〜!うそ!ホント!?』。当時スタジオ観覧に来る若い女性客はこの3語しか発しなかったのでそのままタイトルにした。3年しか続かなかった。
さて、番組タイトルはどうあるべきか。ひとことで言うと、番組タイトルは番組のコンセプトを表現するものでなければならない。番組の中身を表現するもの、ではない。あくまでもコンセプトである。情報番組なら、「主婦を馬鹿にしないで作る硬派の番組」バラエティなら「笑い(お笑いとは言いません)の番組」といったコンセプトである。出演タレント自体がコンセプトの時もある。そういう時はそのままつければよい(例『タモリ倶楽部』)。
なぜコンセプトなのか。タイトルでは、とりあえず視聴者の皆さんは、ほっておいていいのである。番組タイトルは現場制作者(ディレクターやAD)が、番組を作るにあたって集まる旗印の役目を果たさなければいけないのである。だから番組コンセプトを表現するべきなのであって、そうしないと現場は作る方向を見失ってブレブレの右往左往が見える番組になってしまうからだ。それでは誰も見てくれない。
しかし、わかっていないプロデューサーは、内容(戦術)ばかりにこだわって、コンセプト(戦略)を決めない。戦術だけの局地戦で小規模に爆破作戦を決行するだけでは番組は勝てない。戦略が必要なのに戦略をスタッフにわかる言葉にすることができない。戦略が決まっていないからタイトルも決められないのである。
- 悪い例『笑ってポン』
→ コンセプトはしっかり表現できているタイトルだったが、中身がつまらなすぎた
- 変な例『トンヒラコッペドビダブジョ』
→ タイトルなんか視聴率と関係ないことを証明したかった。昔はおおらかだったなあ
で、コピーライターに頼んだりすることもある。無駄な出費である。スタッフ全員に考えさせたりもする。無駄な時間である。まあ、2日も悩めばそれ以上のものは粘っても出ないから、決断するだけでいいのである。あとは、テレビを見てくださるみなさんが番組タイトルを育ててくださる。
しっかりたコンセプトのもと決めたタイトルは、相当変なものでも長くやっていれば馴染んで来て、違和感のない、時には「いいタイトルだ」などといわれるものに育つのである。