世田谷文学館「上橋菜穂子と<精霊の守り人>展」の見ごたえ
齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]
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上橋菜穂子の「精霊の守り人」シリーズは数多くの続編とスピンアウトの短編集や作品にでてくる料理のレシピ本などの企画本まで含め、広大な作品世界を構成するファンタジー・ノベルである。
現在、世界7か国で翻訳され、子供向けのファンタジーにとどまらず、重層的で確かな世界観の作品は、日本にとどまらず世界各地で子供から大人まで幅広い年齢層の多くの読者を獲得している。
世田谷文学館で開催された「上橋菜穂子と<精霊の守り人>展」(7月3日終了)の内容は、NHKドラマの衣装や小道具の展示をはじめ、翻訳の際の翻訳家とのやりとり、作者の文化人類学的なバックグラウンド(大学院にてオーストラリアの先住民のアボリジニを研究、最近もフィールド調査を続け博士の学位を取得、本業は大学で児童文学を教えている)のわかるものとなっている。
これらのバックグラウンドと幅広い興味が物語にリアリティと厚みを与えていることはつとに知られているが、彼女がオーストラリアに限らず、広く世界を旅した際のスナップ写真なども用いて、この作家の興味や関心のおもむく先(古武術を習い、古代や中世の武具を見るのが好き、異国の料理や保存食などにも関心が深い等)の知れる展示ともなっている。
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本来、子供向けのファンタジーや童話の世界で、主人公が30歳のすでに若くはない女性、未婚で家族のない天涯孤独な用心棒、ということからして型破りであり、担当編集者は出版の際、難色を示したようである。
が、結果としては、野間文芸新人賞などを受賞し、英訳もされ、緻密なディテールとともに、一筋縄で行かぬ多文化・多民族の入り乱れる世界観とともに、大人の読者をもうならせる重層的な作品世界が評判を呼んだ。また、あまり言及されないが、精霊の卵を産み付けられた皇子を守り抜く過程で、自らの出自や幼少期の記憶と向き合い、悩みつつも生き抜いていくという自立した女性の骨太の物語としても成功している。
この作者の年齢(1962年生まれ)からすると、たとえ実力主義の学者の世界であっても、まだまだ女性が一生の仕事をもつには相当の覚悟が必要だった世代である。悪法といわれた男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年、おそらくは作者の大学の同期の優秀な女性たちも、初の均等法世代として総合職1期として旅立ち、そのうちの多くが男性並みの長時間労働をはじめとした数々の壁に阻まれて力尽き燃え尽きてリタイアした世代と思われる。
作者は結婚してはいないようだが、本人によるギャラリートークの際、国際アンデルセン賞を受賞した際の撮影は私の「パートナー」が、という発言があり、そこからすると事実婚を選択しているのかもしれない。
「精霊の守り人」を書いた当時の作者は、主人公のバルサと同じ30代。自立して生きることを優先し、愛する人との結婚に踏み込めない、というバルサ自身ともかぶってくる。物語世界のチャグムという子供を通して、作者が自分の子ども時代や家族との関係に立ち戻り、それがまた、シリーズの2作目以降、故郷に戻り父や養父の名誉を回復しようと苦闘する主人公に色濃く反映していくのだろうか。このあたりは作者に聞いて見たいところだ。
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筆者が上橋菜穂子の名を目にしたのは、国際アンデルセン賞の日本人で2人目の受賞者(2014年)としてが初めて。その後「鹿の王」での本屋大賞受賞(2015年)、さらにはNHK地上波での「精霊の守り人」のドラマ化(2015年)と続く。
正直にいって、これほどの作品が児童向けとして出版されていたとは、それまでノーマークでびっくりしたことを覚えている。SFはともかく、ファンタジーは癖があるからとなかなか読みだせずにいたのだが、読みだすとあっという間に作品世界に引き込まれる。
難解な用語もなくすんなり世界に入り込めるあたりは一部のSFファンタジーとも違い、そこは児童向けということも効いているのだろう。緻密でありリアリティもある、かつわかりやすい表現力のたまものともいえ、世代を超えて愛されるのも納得がいく。
この展示をした世田谷文学館は、作者のバイオグラフィ(年譜)から生原稿、執筆に使った筆記具や、交流のあった文学者との関係を展示するといった、いわゆる文学館の王道=オーソドックスな手法を守りながら、そこにとどまらず、浦沢直樹展や日本SF展、岡崎京子展とチャレンジングな企画で知られ、文学館関係者の間でも評価が高い。
これだけの展示がそのまま終了するのは惜しいと思っていたが、これから全国巡回もあるようだ。見ごたえのある展示なので興味のある方はご覧いただきたい。
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