<誰に対するプロパガンダ?>「ライバルは1964年」をうたうACジャパンのCM
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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TBSきっての高視聴率番組「サンデーモーニング」。ちょっと前になるが、この番組の9月18日の放送で不思議に感じることがあった。CMにはいった途端、少し異様な感情に囚われたからだ。
そのCM(30秒版)は次のようなものである。
- 2020のテロップ表示が1964 にむかって、巻き戻って行く。
- 第1回東京オリンピック。聖火の最終ランナー、陸上競技選手・坂井義則青年が聖火台に点灯する映像。
- 続いて、1964年の子供たちのモノクロ写真が流れる。
- そして、当時を代表する喜劇役者、無責任男・植木等の映画クリップにあわせて、当時の家族を写したモノクロ写真の数々が映し出される。
- ナレーション「あの頃の日本人に笑顔で負けるな」「見る夢の大きさで、人を思いやる気持ちで、心の豊かさで、絶対負けるな」
- 「ライバルは、1964年」のテロップ表示にあわせて、「ライバルは、1964年」のナレーション。
- 「2020年に向け、日本を考えよう。」という全面テロップ
- 企業のCSR活動 ACジャパン(終了画面)
そう、上記は大喪の礼や東日本大震災の折、CM自粛で代替のために大量に流れたAC ジャパンのCMである。「ACジャパン」は元の名を公共広告機構といい、公益社団法人だかられっきとした民間団体である。
同団体のHPには次のように書かれている。
「全国の企業や団体、一般個人の方から寄せられた会費のみで運営されている民間のボランティア団体です。政府や公的な機関が運営や助成をしている団体ではありません。『公共広告』という社会にとって有益と思われるメッセージを、さまざまな広告キャンペーンの形で発信しています」
さらに「ACジャパンの広告はすべて、会員である媒体社(放送局、新聞社、出版社、インターネット等)のご協力で、無料で放映・掲載いただいています。各媒体社様の判断で適宜に放映・掲載いただいているため、放映・掲載時間の特定はできません」とある。
理事長はライオン株式会社の相談役・藤重貞慶氏、副理事長は株式会社電通の代表取締役社長執行役員・石井直氏である。在京在阪のテレビ局、新聞社、大企業が会員社として名を連ねている。
【参考】AERA特集「テレビの大逆襲」に見えるテレビ業界の病根
筆者は同じACジャパンCMを9月17日に放送されたフジテレビ「ENGEIグランドスラム」の中でも見ているが、両方とも、なんらかのスポンサーの事情でさし変えられたと思われる。
さて、この「ライバルは1964年」CMは、誰のどんな意図で流された広告なのであろうか。同団体のHPにはこうしたキャンペーンについて、つぎのようなことも記されている。
「制作したすべてのキャンペーン作品が社員総会の場で紹介され、承認を受けます」
つまり、「ライバルは1964年」CMはACジャパン加盟各社の総意として「テレビを見ている人は(国民は)1964年を手本にして負けないようにがんばりましょう」と言うことを訴えてることになる。
ひねくれ者の筆者はちょっと待って下さいと言いたくなる。こうやって尻を叩かれれば叩かれるほど「私はそんなにがんばらないで普通にやりたいです」と言いたくなる。
ところで、もし、がんばらなければならないのなら、ライバルだと言われる1964年はどんな年だったかを思い出してみた。
1955年生まれの筆者は当時9歳、小学3年生である。家にテレビはまだ無くて、祖母の家で見ていた。その時の記憶といえば次のようなことだ。
東京にはビートルズという人たちが来ているらしいということや、東京オリンピックでエチオピアのアベベ選手が裸足でマラソンを走った(ただし、記憶はあやふやなもので、裸足で走ったのはローマ大会。東京ではクツを履いていた)ということ。
仙台に修学旅行に行って初めてコーラという薬臭い飲み物を飲んだことや、先生がデパートでこれがエスカレーターというものだ、気をつけて乗ってみなさいと言ったことなども記憶にある。
「奥さまは魔女」というドラマを見てアメリカの家にはあんなデカい冷蔵庫というものがあるのだ、テレビや洗濯機を買うには日本ももっとガンバらなければいけないのだと思わされた。
いづれもアメリカに憧れ、アメリカに負けないように追いつこうと頑張っている日本人の記憶である。そこでようやく合点がいった。そうか、「ライバルは1964年」ということは、アメリカに負けないようにガンバった当時の日本に負けるな、という意味だったのだ。
その頃から日本国民は(ズボラながら筆者も)2020年までずーっとガンバてきて、今の日本になってしまったわけだ。
ということは、やっぱり本性のひねくれ者に戻ったほうが良さそうだ。だから「ライバルは1964年」CMの呼びかけには応えずにおこう。1億2000万人が一色に染まらなくても良いではないか。
日本は「もっと普通の国」「肩の力を抜いている国」になったほうが、筆者のような爺や未来の日本を生きる人々にも行きやすいのではないかと、思った次第だ。
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