マーティン・スコセッシ監督『沈黙』神をどう見るのか?【ネタバレ注意】
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス-』を見た。心揺さぶられた。
もちろん遠藤周作の原作小説『沈黙』を、読んでいたから見たいと思った。原作も息の詰まる小説であった。当時の筆者の読書ノートには「キリスト教と武士道の殉教に対する類似した考え方など、学ぶことはたくさんある」と書いてある。
小説のあとには篠田正浩監督の映画『沈黙 SILENCE』(1971年)も見ている。篠田監督と遠藤周作自身による脚本・脚色である。井上筑後守に岡田英次、フェレイラに丹波哲郎、岩下志麻、三田佳子等のスター級が顔を揃えるが、感心の出来る映画ではなかった。
役者の格が邪魔をして本当の主人公キチジローや、転ぶ神父が浮かび上がってこない。宣教師役の外国人俳優が限りなく下手である。脚本家・遠藤周作は映画と小説は違うと言うことを意識しすぎたのではないか。拷問ばかりが強調された映画となっていた。明らかな失敗作であった。
マーティン・スコセッシ監督、ジェイ・コックス脚本の映画は、遠藤周作の小説をほぼ忠実になぞって行く、なぞることが映画の使命であるかのごとくである。それが成功している。
公式HPには次のようなあらすじが掲載されている。
「17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の 井上筑後守は『お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ』と棄教を迫る。そして次々と犠牲になる人々― 守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―」
宣教師ロドリゴとガルペは、フランシスコ・ザビエルや上智大学の創設でも知られる、イエズス会の神父である。彼らは師でもあるフェレイラが転んだ(棄教した)との噂が信じられない。
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ロドリゴとガルペが日本で出会ったのは長崎の隠れキリシタンであった。彼らの身分を江戸時代の農民や漁民と混同してはならない。彼らはいわば、棄民である。飢餓と死が翌日に待っているような境遇にある。その中で彼らはカトリックの信仰を守ってきた。
イエズス会のザビエルが日本で会うことを目指した民は、どんな人々だったのか。部落史の大家である沖浦和光氏にすぐれた論考がある(「宣教師ザビエルと被差別民」)ザビエルが目指した日本は「ケガレ」の思想が広がった時代であった。
癩者(ハンセン病の患者)に対する差別もひどかった。彼らの病は前世の報いで仏の慈悲(極楽浄土での往生)も及ばぬとされた。そんな日本に訪れたのが、来世のパライソ(パラダイス)を約束するザビエルである。
隠れキリシタン達は役人に転ぶように言われても、形式だけで許すからと言われても決して踏み絵を踏むことが出来ない。踏み絵を踏むことが出来るのはキチジロー(窪塚洋介)だ。何度でも踏み、何度でも裏切り、何度でも戻って、神にすがり、告解して罪の赦しを求める。
あるとき、自らが踏み絵を前に棄教を迫られるロドリゴ神父は、穴につるされ苦しむ隠れキリシタンを救うために「踏むがいい」と促すイエス・キリストの声を聞く。神は沈黙していなかった。
遠藤周作は、欧州キリスト教世界に伝わる「厳父のような神」に対し、日本の精神風土に合った「優しい母のような神」を思い描いていたとされる。
こうした映画を当のカトリック教会はどう思うのか。
聖ザベリオ宣教会のティツィアノ・トソリニ神父は「遠藤が(小説で)示した『慈悲深い神』を(映画で)今、再発見するのは意味深いことだ」と指摘している。
イエズス会の宣教師がポルトガルやスペインの植民地主義の先兵であったこともまた、歴史的事実である。故に徳川幕府はキリストを禁教とした。仏教は幕府の住民統治の道具としても使われることとなる。
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宗教改革後のプロテスタント国家となった国々の人々がこの映画をどう見るかもまた興味深い。
十字軍に蹂躙された国々イスラム教国の人々は、同じ神デウス(ゼウス。ヤハウェ。アッラー。ゴッド。唯一の男神としては皆おなじ)を信じる者として、どう見るのか。ISを名乗る人々はどう判断するのか。カルヴァン派のプロテスタント、長老派教会(Presbyterianism, Presbyterian Church)に所属し、イスラム教徒のアメリカ入国を禁じるトランプ新大統領ははどう思うのか。ロシア正教徒のプーチン大統領はどう思うのか。中国共産党中央委員会の習近平総書記中はどう思うのか。
信仰を特に持たない日本人の筆者は、踏み絵のようなアイコン(偶像)はかまわず踏めば良いと思うが、他の人々はどう思うのか。筆者はあらゆる神の上に善があると思うがどうか。
スコセッシ監督はインタビューで「私の道は過去も今もカトリックです。カトリック教徒であることが最もぴったりとくるんです」と述べている。
宣教師に棄教を迫る井上筑後守役イッセー尾形、モキチ役の日本では映画監督でもある塚本晋也が大好演である。
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