<音楽はシノギ>日本ではなぜ「スタンダードナンバー」が生まれないのか?

映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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東京オリンピックのあった1964年(昭和39)頃のことである。中学生であった筆者はアメリカには「スタンダード・ナンバー(standard number )」というものがあると知った。これは和製英語で本来は「standard song」というのが正しいらしい。

いづれにせよ、当時の筆者にとっては「なぜ、アメリカにはスタンダード曲があるのか?」が不思議でならなかった。日本の流行歌は3カ月サイクルで消えてゆき、旧い歌を演奏したり歌ったりするのは恥ずかしいこととされた。これは今でも変わらない。

スタンダードの定義を確かめてみると、「ポピュラー・ソングのうちで、長年月の間忘れられずに歌われ、演奏されている曲」(コトバンク)とある。

ジャンル毎にも色々とあるだろうが、ここでは特にポップス、ロックに絞って話をする。好みはもちろんあるが、それでも以下などが押しも押されもせぬアメリカのスタンダードだろう。

* Superstition/ Stevie Wonder

* Tell me something good/ Chaka Khan

* Come together/ Beatles

* I want you back/ Jackson 5

* Let’s stay together/ Al Green

* Stand by me/ Ben E King

* Diana/ Paul Anka

* Puff, the Magic Dragon/ Peter, Paul and Mary

* Blowin’ in the Wind/ Bob Dylan

* Hound Dog/ Elvis Aron Presley

* Born in the U.S.A. / Bruce Springsteen

* Banana Boat Song/Harry Belafonte

ふらりと酒場に集まった見知らぬミュージシャン同士が、何かやろうとなった時には、どの曲でも必ずや演奏できるはずだ。

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ところが「日本のスタンダード曲」といって思い浮かべようとすると、これがなかなかたいへんだ。これぞスタンダードナンバーといったものが浮かばないのだ。

なぜだろう。それぞれの世代の「懐メロ」なら思いつくけれど、「日本のスタンダード曲」は浮かばない。ましてや「世界に通用する」ようなスタンダードとなればなおさらだ。世界レベルで考えると、今のJ-POPは世界に流通するレベルになっていないのではないか、とも思わざるを得ない。

それでも、坂本九の「スキヤキ (上を向いて歩こう・1963年)」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)という曲は、おそらく数少ない日本のスタンダードだろうと思う。なぜなら、スウェーデンの田舎町の人も知っていたからだ。しかし、日本ではこの歌を知らない若い人も多い。

J-POPの第一世代は、洋楽に興味があった。井上陽水、桑田佳祐、松任谷由実、山下達郎、竹内まりや、スパイダースのようなGSだってそうだ。ゴールデンカップスならブルースやR&Bである。

しかし、今、日本では洋楽が全く売れない。売れないから、今のミュージシャンたちも参考にしないのではないか。精神分析医の斎藤環氏は、そのヤンキー文化論『世界が土曜の夜の夢なら』(角川書店)において、

「ヤンキーミュージシャンにとって音楽とは、芸術である以前にシノギ (仕事) である」

と厳しいことを言っているつまり、そもそも売れない音楽は作られないのだ。カラオケで歌えないような曲はいらないのだ。

かくして日本にスタンダードは生まれないのかもしれない。

 

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