Fランク大学生は「給付型奨学金」をもらえない?

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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給付型奨学金というものが話題になっている。

今の大学生は多くが「貸与型奨学金」という名の学生ローンを抱えている。大学卒業時点で500万円もの借金を抱えている学生がザラにいる。社会人スタートが借金500万円。そんな状態は、教育の機会均等を憲法で保障する日本では、異常なことである。これを是正しようというのが返さなくてもいい「給付型奨学金」である。

この給付型奨学金については、こんな意見も浮かび上がる。

「Fランク大学に入る学生に返さなくても良い奨学金をやっても無駄だ」

Fランクを「不合格者が少なすぎる」「偏差値が低い」などと、生やさしい表現は止めよう。受ければ誰でも入れる大学だ。日本には781校(国立:86 公立:92 私立:603)の大学があるが、そのうちFランクは、河合塾のボーダーラインによるとざっと言って、日本の大学の60%である。

ところで、文部科学省の給付型奨学金制度検討チームの制度設計について、その概要を見るとFランク大学生でも給付型奨学金がもらえるというのは誤解であることが分かる。(抜粋・平成28年12月19日付け)

(対象学校種)大学、短期大学、高等専門学校、専門学校

(家計基準)住民税非課税世帯

(学力・資質基準)全体を高校等からの学校推薦とし、成績基準の目安等をガイドラインで示しつつ、各学校が定める基準に基づき推薦

(以下のいずれかの要件を満たす者から推薦)

①十分に満足できる高い学習成績を収めている者

②教科以外の学校活動等で大変優れた成果を収め、教科の学習で概ね満足できる学習成績を収めている者

※進学の意欲・目的等に関するレポート等を評価

※高校生活全体の中で課題克服の経験などにも着目

これでは、Fランク学力の大学生は給付型奨学金はもらえないと言うことだ。これでは上位大学の学生とFランク学生の将来に渡る格差は縮まらないのではないかとの疑問も浮かんでくる。

【参考】<奨学金という名の学生ローン>「緩やかな基準で選考」する奨学金こそ害悪

さてここで考える方向を変えて、若者たちがFランクでも何でも、とにかく大学に進もうとするのはなぜだか考えてみよう。多くの企業が、「求人は大卒以上」としていて、大卒資格がないと応募もできないからか、大学を出さえすれば、社会人としても幸せになれる、と勘違いしているからか?

そうではない。

筆者の思うに、この理由は、ただのつまらない同調圧力からだと思われる。見栄と言っても良い。みんなと同じでないと嫌だという気持ちだ。ならば、Fランク大学生には給付型奨学金は渡らないという制度で何らの問題はないだろう。

問題があるのはFランク大学の方である。利子付きの奨学金であろうが、何だろうが、それらを、学生を通して収入として受け取っているのが大学側だからである。悪い言い方をすれば学生はカネづるなのだ。

「カネさえ貰えれば、入学もできるし、卒業もできる。ウチの大学はそれで良いのだ」

ということに他ならない。文科省から補助金(税金)も出ている。こういう大学が多すぎるのではないか。もちろん「そうではない」と反論する大学関係者は多いだろう。「それをしなければ、大学がつぶれてしまいます」という大学もあるだろう。実際つぶれる大学もある。

法科大学院だってそうだった。ただ儲けようと設立した大学院は次々と立ち行かなくなって撤退した。

ところで、Fランク大学の学生は皆バカなのだろうか。そうではないだろう。たかだか22歳の若造である。突然変異することだってあるだろう。噺家の世界ではこの現象を「化ける」という。徐々にうまくなるという噺家は滅多にいない。最初からうまい噺家はいる。「化ける噺家」というのはある日にどろんと化けて翌日に面白い噺家になっているのである。

そのような「化ける学生」がFランク大学にも、何年かに1人ぐらいはいるような気がする。この打率は低いのか、高いのか? 筆者はわからないのだが、ゼロではあるまい。

 

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