テレビ制作者に求められる「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」って何?

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家]
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筆者は放送作家として作家事務所を主宰しつつ、テレビ制作会社も経営している。「テレビ文化を発展させられる作り手」になれる次世代のテレビマンの育成にできる限り尽力しているつもりだ。
そんな筆者の会社にも、毎年、テレビマンを目指す若い学生たちが、数多く就職に向けてエントリーをしてくれる。当然、採用試験をするのだが、先日のディレクターの採用試験では、思わず苦笑せざるを得なかった答案があった。
採用試験として出題した問題は、次のようなものだ。

[問]自分の出身学校を主語にし「そもそも」という接続詞を使って、文章を作って下さい。

この問題に対し、ある専門学校の男子学生が作った文章は以下のようなものだった。当該の放送専門学校の名前は、何かと問題があるとまずいので「A専門学校」としておこう。

[答]A専門学校は、そもそも、行く必要のない学校だった。

この学校で教えたこともある筆者としては、笑うしかない。面白い文章だし、しかも、この男子学生は現実をよく見ている。合格である。
話が少し横道に逸れるが、偏差値50くらい、つまり最も数の多い層の学生は、接続詞が正確に使えない。一番多いのは「しかし」の使い方の間違い。「しかし」の使い方は「逆接」である。

[間違った例文]この洋服は大変高価である。しかし、長持ちもするのである。

・・・というような文章を平気で書く学生が本当に多い。
前述の専門学校生は「そもそも」が功を奏して、テレビマンへの道を歩むことになったが、そこで思うのは、テレビ制作者は学校ではなく、「オン・ザ・ジョブ・トレーニング(職場内訓練)」でしか育たない、ということだ。
多くのテレビ制作者が言う「教育なんかしているより早く現場に入れちゃえよ」ということなのである。テレビ番組は芸術作品ではないが、工業製品でもない。そういったものづくりは仕事をやりながら身につけるのが手っ取り早い。
この「見よう見まね」の間に必要なのは、自ら発見をして、「テレビ番組づくりの文法」を身につけることである。この「文法」を先輩制作者の背中を見ながら学ぶのである。改まって教えてくれたりはしない世界だから、「盗む」のである。この「文法」を身につけて初めて、「文法」を破壊した「新しい番組」が生まれる。
おの意味では、「しかし」が順接でもいい番組はできるのである。
もちろん、この「文法」を身につけないで、優れた映像作家になる人もたまに存在する。但し、そういう人は映画やCM、ミュージックビデオの世界でのほうが成功するのではないかと思う。
筆者は、これまで大学で5年間、3分間の映像作品を作る実技科目の指導をしているが、はっと目をみはる作品には一度も出会ったことがない。しかし、この、凡才たちの方がテレビ番組づくりでは、才能を発揮することになるのではないか、と思うことがある。なぜなら「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」で鍛えられる余白をたくさん持っているからだ。
ところが、この「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」に適した番組が、日本のテレビ局から次々と消えている。「あの番組からは、いいディレクターがたくさん育ったよなあ」と言われていた番組のことである。ただ単に長寿番組であればいいというものではない。定義する代わりに具体的な番組名を挙げておこう。

  • 日本テレビ「ゲバゲバ90分」(1970〜1971)
  • TBS「風雲たけし城」(1986〜1989)
  • フジテレビ「欽ドン」(1972〜1979)
  • テレビ朝日「ニュース・ステーション」(1985〜2004)

もちろん、他にもあるだろう。
先日、若いディレクターを教育できる番組が少なくなったことを、あるテレビマンに嘆いた。すると、そのテレビマンはこう言う。

「なければ、つくればいいんだよ」

その通りである。作れるのは、そう発言してくれたテレビマンのような人である。
 
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