「MBSヤングタウン」で最もリスナーを熱狂させて亡くなった芸人の相方が「思い出」を映画にした

映画・舞台・音楽

影山貴彦[同志社女子大学 教授/元・毎日放送 プロデューサー]
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筆者がかつて在籍した毎日放送(MBS)に入社した大きな理由のひとつが、「MBSヤングタウン(以下、ヤンタン)」を作りたいということだった。東の「オールナイトニッポン」、西の「MBSヤングタウン」と並び称された人気深夜ラジオ番組だ。
30歳を過ぎた頃、念願の「ヤンタン」のディレクターとなり、やがてプロデューサーになる幸運に恵まれた。かけがえのない演者、スタッフの面々に数多く出会った。今でも私のとびきりの財産である。
その中でも、吉本興業所属の漫才師「ベイブルース」の二人、河本栄得(えいとく)くん、高山知浩くんは特別の存在だった。
二人は、著者が初めて、「ヤンタン」のディレクターを務めたときのメインパーソナリティーである。正直、当時彼らより世間的に「売れていた」ヤンタン・パーソナリティーは他にもいた。「シャ乱Q」の「つんく」もその一人だった。
どの曜日も最高に面白かったが、ベイブルースが担当した「ヤンタン月曜日」が、リスナーに一番人気があった。イベントをすれば数千人が集まり、リスナーからのハガキの数も群を抜いていた。CDデビューも決まり、レコーディングも終え、全国進出へ向けて、すべてが順風満帆に見えた。
彼らと共に時間を過ごせることが、この上ない幸せだった。ずっといつまでもこの日々が続けばいいのに、と心から願っていた。著者をはじめ、スタッフ、関係者の多くに「仕事」の意識はなかった。そんなセコい思いは超越していた。
けれど河本くんは、突然劇症肝炎の病に倒れ、25歳と364日の若さで、天国に旅立ってしまった。仮定の話は元来好まないが、彼が生きていたら、現在の日本のお笑い界を間違いなく牽引していただろうと思う。それほどの才能の持ち主だった。
あれから間もなく20年が経つ。
河本くんの命日である10月31日、相方の高山くんがメガホンを取った映画「ベイブルース~25歳と364日」が全国で公開される。高山くんが河本くんとの思い出を記し、5年前出版された本を映画化した作品だ。
大阪で繰り広げられた小さな思い出話かもしれない。けれど、そこにはこの上なく熱いものが詰まっていると確信している。
 
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