<続・生きてやろうじゃないの!>東日本大震災と被災者家族の記録(2)未曾有の大災害「東日本大震災」の幕開け
武澤忠[日本テレビ・チーフディレクター]
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(第一回目の記事はこちら)
2011年3月11日2時46分。
当時担当していたお昼の生放送番組「DON!」の一週間の生放送を終え、ほっと一息つき、翌週分の打ち合わせがてら弁当をかきこんでいるときだった。
東京・汐留にある日本テレビのオフィスビルが突然大きく揺れる。その時僕がいたのは29階の会議スペース。ただならぬ揺れに思わず箸をおき、咄嗟にテーブルを握った。
「やばい・・・これはでかいぞ」
瞬間、背筋が凍りつくのを感じた。揺れは徐々に激しくなり、周囲からは女性スタッフの悲鳴が聞こえた。移動式ロッカーが右に左に激しくぶつかり、凄まじい音をたてていた。
打ち合わせをしていた普段クールなディレクターは、机の下にもぐりこんだ。涙がでそうなほどの恐怖を感じながら、僕はひたすら「早くおさまってくれ!」と神頼みするしかなかった。
ようやく揺れがおさまり、思わずテレビの画面を見る。
「東北震度6強」
瞬間、福島県相馬市でひとり暮らす母・順子の顔が浮かぶ。すぐに携帯から電話をするがまったくつながらない。卓上電話を使ってもダメだった。
「お台場が燃えているぞ!」
誰かの声に窓際に面した喫煙所へ駆けつける。見れば、お台場のフジテレビの裏手から、黒い煙が立ち上っていた。正直、「この世の終わり」かと思った。
母は相変わらず連絡が取れない。そのとき耳に飛び込んできたアナウンサーの音声に、僕は思わず目の前が真っ暗になった。
「福島県相馬市岩の子には7.3メートルの津波が押し寄せ、壊滅状態です!」
そこはまさに実家だった。78歳の母が、ひとり暮らしていた。
「なに!? 壊滅って、なんだよ・・・」
言葉を失っている僕の目に、各地の凄まじい津波の映像が飛び込んできた。
これが未曾有の大災害「東日本大震災」の幕開けだった。
(※本記事は全10回の連続掲載です。第1回目「東日本大震災と被災者家族の記録(1)遺体は撮るのか、撮らないのか?」は https://mediagong.jp/?p=14158)
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