<元旦の上野駅にいた「立ち食いそばの男」>「分刻み」で攻め立てる今のテレビには感じられない番組制作者の心
高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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最近筆者は、上野辺りで飲むことが増えた。結構居心地が良い。それに賑やかだ。外国人も増えてきたが、若者が増えたような気がする。もちろん、気取った店は少ない。ちょっと前までこれほど賑わっていなかったような気がする。上野には若い客が戻ってきているのかもしれない。
上野がこんなに賑わっていると石川啄木の、
「ふるさとの 訛なつかし停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」
という短歌をすぐ思ってしまう。この人ごみの中に、実際に訛(方言)を聞きに来ている人がいるのではないか。上野に来るとほっとする人がいるのではないか。そう思うことがある。
かつてそんなことをテーマに取材をしたことがある。
年末年始の東京を取材したものだが、元日の取材をどこでしたら良いかということで上野という案が出た。「年末、故郷に帰りたくても帰れなかった人がいるのではないか?」ということだった。上野へ行けば東北に帰れなかった人と会える、そう勝手に思ったわけだがこれはかなり飛躍だ。でも、やってみようということになった。
その当時はまだ、青森行きの夜行列車がある頃だった。夜9時頃に上野駅を出発し、翌朝には青森に着く列車があったのだ。12月30日が最盛期で、故郷に帰る人はお土産を抱えた人が多かった。だが、そんな列車に乗れず、帰りそびれた人を探すことができるのだろうか? もちろん、不安ばかりだった。
この頃は、今と違って元日に開いているような店はほとんどなかった。デパートは勿論スーパーなども開いていない。正月の町は何処もがらんとしている。空いている食堂などもめったに無かった。ただ、上野駅前にある「立ち食い蕎麦屋」が開いているのは調べがついていた。
どんな人が食べに来るのだろうか? 興味はあった。最近では元日もあまり普段の日と変わらない日常になってしまった。だから、今ではこんな期待も無いだろう。だが、この頃は「せめて正月くらい家族といたい」という気持ちがまだまだ強かった。
元日の朝、駅前の立ち食い蕎麦屋さんは開いていた。もちろん、周りに人はいない。すぐ横はアメ横だが、ここにも人通りはない。
だが、やはり食べに来る人がいた。多くの家庭では家族で雑煮を食べているような時刻だ。一人で食べに来る人ばかりだ。立ち食いそばの店の中でのインタビューなど、喜んで受ける人はあまりいない。だが、その中にインタビューを受けてくれる人がいた。
やはり青森出身の人だった。正月三が日が仕事でどうしても帰れない。「でもそれが空けたら帰れる」とうれしそうな顔でいう。土産はもう買ったという。
40代の後半に見える方だった。勤め先がこの近くにあるのかもしれない、あるいは住まいがこの近くでどこかに勤めに行くのかもしれない。あるいは正月最初の食事は故郷に一番近い上野駅で取りたかったのかもしれない。
彼は「上野が好きだ」という。短いインタビューだったが帰省を楽しみにしている様子がしみじみと伝わった。上野駅の真向かいにある立ち食い蕎麦屋だ。この店は現在もまだある。
これは面白いだろうと分刻みで攻め立てられているような今の番組を見ていると、こんな感覚の番組があっても良いような気がする。ほっとしたくなるというか、人を傷つけたりはやし立てたりすることではなく、ちょっと立ち止まってみたくなる番組というのだろうか、人ごみの中に訛を聴きにいく感覚がある番組といったら良いだろうか。
確かにいつもほっとするような番組ばかりは見ていられない。分刻みで攻め立てるということも必要なことはわかる。だが少しはこんな気持ちを大事にしてもらいたいと思う。
今もあの帰省を楽しみにしているうれしそうな顔が忘れられない。こんなシーンが少しでもあるだけで、テレビから離れていく人を引き止められるかもしれない。
いや、こんな気持ちが作り手に残っている番組が今も長寿番組として続いているのかもしれないという気もする。「まだまだ捨てたものじゃない」という番組も多数ある。それが制作者が大事している余裕というものかもしれない。余裕がなくなると分刻みにますます攻め立てたくなるものだ。
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