<政治責任を含め再検証が必要>イスラム国・邦人人質殺害事件の報告書を政府が発表

海外

高世仁[ジャーナリスト]
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5月21日、「邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会」の検証報告書(以下、「報告書」)が出た。
湯川遥菜さん、後藤健二さんの2人の日本人が「イスラム国」により殺害される結果となった事件で、委員会は、政府の対応に問題がなかったのかを検証し「救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えない」と結論づけている。メンバーを身内で固めた委員会(杉田和博官房副長官が委員長)であり、予想通り、お手盛りの報告書となった。
しかし、この報告書は、事件の最も重要な部分に全く触れていない。
事件の経過をみると、「イスラム国」の邦人人質に対する扱いは、時間の経過とともに大きく変わったことが分かる。この転換に、日本政府がどこまで責任があるのかという本質的な問題を、報告書は避けているのである。
人質事件では、ジャーナリストの後藤健二氏に関心が集中しているが、検証にあたって注目すべきは、むしろ8月中旬に捕らわれた最初の人質、湯川遥菜氏のケースである。湯川氏を救出することは、ある時点まで、十分に可能だったと思われるからだ。それが、殺害という結果になったのはなぜか。
去年9月5日、ジャーナリストの常岡浩介氏とイスラム法学者の中田考氏の二人が「イスラム国」支配地に入った。「イスラム国」が、湯川氏の裁判をするため、二人に通訳と裁判の記録を依頼したのだった。
すでに「イスラム国」は、米国人二人の斬首動画が公開し、英国人の処刑を控えていた。ところが、湯川氏が受けた扱いは、これらの人質とは全く違っていた。彼にかけられた「スパイ」の疑いを審理する裁判が用意され、そのために二人の日本人が遠路シリアまで呼ばれたのである。処刑された米国人らは、裁判を受けることはなかった。
二人を呼んだ司令官は、「イスラム国」が湯川氏に危害を加えず、身代金を要求しないと明言した。さらに、「無罪判決が出たら、湯川氏を連れて帰ってよい」と約束した。常岡氏は、判決は無罪か、有罪だとしても非常に軽い刑ですむだろうとの心証を得たという。
この時点で、「イスラム国」は、米国や英国と日本とをはっきり区別し、日本を「敵」とはみなしていなかったと推測できる。
常岡氏らの到着直後、シリア政府軍による大規模空爆があり、残念なことに、裁判は延期となった。常岡氏は、いったん帰国し、延期された裁判に立ち会うべく、再び「イスラム国」に入る準備をしていた。
ところが、日本を発つ前日の10月6日、常岡氏は、「私戦予備・陰謀罪」の容疑で、公安警察の家宅捜索を受け、旅券が押収され、出国を阻止された。これまでの「イスラム国」司令官との通信記録や通信端末まで押収されたため、常岡氏は、司令官らの身の安全を考慮し「イスラム国」との接触を一切絶たざるを得なくなった。
それから4か月後の1月20日、「イスラム国」は、オレンジ色の服を着せられた湯川、後藤健二両氏の映像を流し、日本を欧米の「十字軍」に組みする「敵」と宣言した。この時点では、すでに、二人の人質の救出はきわめて困難になっている。
この4カ月の間に、「イスラム国」の日本に対する見方、そして邦人人質への扱いが大きく転換したことは明らかだ。この転換に、日本側の作為、不作為がどのように作用し、関連していたかを検証することこそ、将来への実践的な教訓を引き出すことにつながるはずである。ところが、報告書ではそれにまったく触れていない。
以上の視点から、重要と思われる事件検証のポイントをいくつか指摘したい。
第一に、湯川氏救出に向けた常岡氏ら民間の努力を、結果として政府が妨害する形になったが、これをどう評価するか、である。
常岡氏が9月上旬の「イスラム国」訪問時に撮影した映像は、筆者がプロデュースし、9月14日以降、テレビをはじめ各種メデイアで発表され、知られざる謎の集団の実態に迫るスクープとして大きな反響を得た。従って、政府は、湯川氏の裁判に立ち会うという常岡氏の旅行目的を知ったうえで、10月6日の家宅捜索を行ったはずである。
政府が、自ら主導権をとって救出をはかるために、常岡氏らの動きを抑えるというのならまだ理解できる。政府が具体的に湯川氏の救出に動いたとすれば、それを明らかにすべきである。
もし、10月の常岡氏の「イスラム国」再訪が実現し、湯川氏が解放されていたとすれば、10月末に後藤氏が湯川氏救出をめざしてシリアに向かうことはなく、二人の殺害という悲劇的結末もなかったはずである。
その意味で、この時点での政府の情報収集と判断がどのようなものであったかは決定的に重要なのだが、報告書は何も触れていない。委員会は、湯川氏救出に動いた常岡氏、中田氏に事情を聞くことすらしていない。
常岡氏の動きを止めた「私戦予備・陰謀罪」の適用の是非も含めて、徹底した検証がなされなければならない。
次に、政府は「イスラム国」と接触も交渉もしなかったが、これをどう見るか、である。
報告書にはこうある。

《12月3日に犯人と思われる者から後藤氏夫人にメールが送付された後には、犯人から政府に対する直接の接触や働きかけがない中、政府としては、テロに屈すればかえって日本人が狙われることになるため、テロには屈しないとの基本的立場を堅持しつつ、人命を第一に考え、人質を解放するために何が最も効果的な方法かとの観点に立ち、過去の類似の人質事件の経験等も踏まえて、必要な説明・助言を行う等、後藤氏夫人の支援を行った。》

つまり、「犯人」とのやり取りは後藤氏の妻にまかせたというのだ。
具体的には、菅官房長官が、

「交渉について、後藤夫人が民間の専門家に相談し、対応している。それを警察、外務省がサポートしてきた」

と説明している。しかし、こんな対応がなぜ正当化できるのだろうか。国内で誘拐事件が起きたら、被害者側に対応をまかせるなど、ありえないではないか。
報告書は、政府が「犯人」と接触することが「テロに屈する」ことになるとでもいいたげだが、どこの政府も、自国民を助けるために、相手がテロリストであれ、解放に向けた交渉をしているのである。
周知のように、トルコは、去年9月に「イスラム国」から49人の人質を解放することに成功した。フランス、スペイン、イタリア、ドイツの人質も解放されている。解放までの経緯は明らかにされていないが、その裏に粘り強い交渉があったのは確実だ。
アメリカやイスラエルといった強面の国家でさえ、「テロリスト」とみなす敵と「捕虜」交換をするのは珍しくない。
政府が直接交渉を避け、接触すらしてこないことを「イスラム国」側はどう受け取ったのか。交渉しないという日本政府の不作為が、「イスラム国」が日本への敵対姿勢を強め、邦人人質の扱いを変えていったことにどう影響したのか。自国民の保護という政府の責任の放棄ではないのか。突っ込んだ検証が求められる。
第三に、1月17日に安倍首相がカイロで行った演説の評価である。
安倍首相は、「イスラム国」を名指ししてこう言った。

「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」

報告書は、「ISIL関連部分を含む総理の中東政策スピーチの内容・表現には、問題はなかったと判断される」と結論付けた。これは、カイロ演説が、日本政府の立場表明として正当だったという意味であろう。言うべきことを言ったまでだ、と。
しかし、本来、委員会は、演説が「イスラム国」側にどう受けとられ、邦人人質の運命にどう影響したのかを検証すべきであった。そこがすっぽり抜け落ちている。
安倍首相が中東訪問に出る前、「イスラム国」は、すでに水面下で、後藤氏の妻に身代金要求を伝えていた。ところが、日本政府からの反応が全くない。そこで、安倍首相が中東に来て何を言うのか、「イスラム国」は重大な関心を持って待ち構えていたはずである。
当時は、「政府としては、ISILにより、邦人2名が拘束された可能性が排除されないとの認識」(報告書)だった。つまり、「イスラム国」に二人が捕まっていることが分かっていた。身代金の要求があることも政府は知っていた。それにもかかわらず、「イスラム国」に喧嘩を売るような文言で演説は行われた。
演説3日後の1月20日、湯川、後藤の両氏はオレンジ色の服で映像に登場することになる。「イスラム国」は映像の中で、安倍首相がカイロ演説で約束した支援額と同額の2億ドルを身代金として支払えと脅迫に出た。
安倍演説は、二人の処刑へのプロセスにおいてどんな役割を果たしたのか。「人命第一」を掲げる首相自らが行った演説だけに、政治責任を含めて、検証し直すべきである。
いま、世界各地に「イスラム国」に忠誠を誓う過激派グループが次々と現れている。中東に限らず、邦人が似たような事件に巻き込まれる可能性は大きくなっている。
報告書は、政府の「対応は適切だった」ということで終始しているが、本質的な検証を避けていては、将来への実践的な教訓を引き出すことはできない。
(なお、常岡氏らの湯川氏救出に関する動きについては、常岡浩介『「イスラム国」とは何か』(旬報社)に詳しい)
 
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