<日本人人質事件の謎を解く>何をきっかけに日本は「イスラム国」にとっての「敵」へと転換したのか?
高世仁[ジャーナリスト]
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ジャーナリスト・常岡浩介氏の『イスラム国とは何か』(旬報社)という本が出版される。
「イスラム国」に入り、直接に取材を行ったジャーナリストは、彼とドイツ人記者の二人しかおらず、その実像はまだまだベールの中にある。「イスラム国」関連書籍の出版が相次ぐなか、取材した本人が語る初めての本である。
筆者は以前から、常岡氏のテレビへのプロデュースをしており、去年9月の「イスラム国」取材の映像を多くのテレビ番組に提供してきた。テレビだけではもったいないと、出版を企画し、筆者がインタビュー・構成をしてできたのがこの本だ。
さすがに自ら取材したジャーナリストが語るだけあって、本書に紹介される「イスラム国」の情報はきわめてリアルで、これまで知られなかった事実に読者は驚くことだろう。
例えば、爆発的といってよいほどの勢力の急拡大をみせた「イスラム国」だが、常岡氏によれば、その戦闘力は低いという。決して強い軍隊ではないというのだ。事実、クルド勢力との地上戦では連戦連敗し、先日、トルコとの国境にある要衝コバニから「イスラム国」は撤退を余儀なくされている。
では、戦闘力の強くないこの組織が、イラク、シリアそれぞれの3分の1という広大な地域をかくも短期間に支配できたのはなぜか。常岡氏は中東現代史、国際政治における駆け引き、「イスラム国」の内情とシリア内戦の複雑な諸勢力の関係を丁寧にときほぐし、説得力ある謎解きに成功している。ここが本書の読みどころの一つだ。
常岡氏は、「イスラム国」という「怪物」を出現させたのは、アメリカをはじめとする先進国の誤った中東政策と、「イスラム国」の特異な理念にもとづく戦略だったという。
「イスラム国」の残酷さにばかり焦点があてられているが、アサド政権は「イスラム国」の数十倍もの数の自国民を虐殺してきた。先進国は、これを放置し、結果的に政権延命に手を貸した。もし「イスラム国」を排除できたとしても、問題は解決しないと常岡氏は主張する。
一方、「イスラム国」は、アサド政権軍と戦闘を続ける反政府勢力の背後を襲い、町や村を奪取するというコソ泥のような手段で「領土」を拡大してきた。「イスラム国」にとって重要なのは、「国を造る」ことであり、アサド政権と戦うことではない。この点で、シリアの他の反政府諸勢力とは組織目標が全く異なるのだ。
本書はまた、先般の「イスラム国」日本人人質事件の謎を解く上でも重要な材料を提供している。すでに報道でご存じの方もいるだろうが、常岡氏は、ある意味、人質事件の当事者なのである。
常岡氏が去年2014年9月にシリア入りしたのは、以前から交流のあった「イスラム国」幹部からすぐに来てくれとの要請があったからだ。その幹部によれば、前月に拘束された日本人・湯川遥菜氏を「イスラム国」が裁判にかける、ついては通訳と裁判を記録するジャーナリストが必要だという。
そこで選ばれたのが、アラビア語に堪能なイスラム法研究者の中田考氏と常岡氏だった。だが、ある事情で裁判は延期になり、二人は湯川さんに会えずに帰国する。
すでにアメリカ人が二人の斬首動画が公開され、イギリス人の処刑を控えた時期だった。これらの処刑は、アメリカ、イギリス両国が「イスラム国」に敵対したことが理由とされた。ところが、湯川氏は扱いが違っている。彼にかけられた「スパイ」の疑いを審理する裁判を受ける予定で、わざわざそのために二人の日本人を呼ぶことになった。つまり、湯川氏個人の扱いを「イスラム国」は判断しようとしたのであり、その当時は、日本という国家は「イスラム国」の「敵」とはみなされていなかったのである。
4か月後の1月20日、オレンジ色の服を着せられた湯川遥菜、後藤健二両氏の映像が流れた。「イスラム国」にとって日本は「敵」となっていた。この間に、「イスラム国」にとっての日本の立場が転換したのはなぜか。また、政府のこの人質事件への対応は適切だったのか。今後、しっかりした検証が必要である。
人質事件を機にますます勇ましくなる安倍首相の発言の裏に見えるのは、中東への自衛隊の派兵である。今年は、集団的自衛権行使の法制化が予定されている。
今ほど、日本人が、これまで縁遠い存在だったイスラム世界、ことに中東について正しい認識を要求されるときはない。本書の出版を企画したのは、そんな筆者の切羽詰まった思いからだった。
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