<「日本人全員大卒」は理想なのか>高卒就職を魅力あるものにすることも大人の責任
高橋秀樹[放送作家]
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2014年10月15日の朝日新聞が「大学進学率 地域差が拡大」と題する記事を報じた。これによれば、平均大学進学率53.1%。東京の大学進学率が72%で最高。40%未満の県は青森、岩手、大分、宮崎、最低は鹿児島の32.1%である。
このデータを踏まえて、新聞の論調は次のように進む。
「経済状況が大学への進学を困難にしている。住む場所の違いで、高校生の進路が狭まりかねない」
事実としてはそのとおりであろう。だが、「大学に進むことはそんなに重要なのだろうか?」という視点が抜けている。
確かに、大学で勉強したいと望んでいるにも関わらず、経済的に行けない人には、公的奨学金でなんとかすべきだろう。できれば給付型(返済なし)にしてあげるべきだ。
しかし、
- すぐに就職したくないので大学に行って4年間遊びたい
- みんなが行くから僕も私も大学に行きたい
こういうような人にも、公的機関が「奨学金という名のローン」を貸し付けているのが現状である。こうした人たちは、就職した途端に、500万円も600万円もの借金を抱えて、返済を迫られることになる。奨学金をもらわないで大学に行く人も含め、このモラトリアムタイプが大学生の90%ぐらいなのではないか?と時に大学で教えることのある筆者は思う。
もちろん、モラトリアムの時期が人間を育てることもある、ということは否定しない。しかし、高校卒でオン・ザ・ジョブ・トレーニングで、鍛えた方が、優秀な人物になる可能性がたくさんあるのではないのか?と思えてならない。
そのためには、高校生の就職を魅力あるものにする責任が大人たちにあるだろう。いづれにせよ、「大学の数」が多すぎる、といことは紛れもない事実だ。法科大学院の例でもわかるように、大学教育を金儲けの手段にしているだけの大学も多すぎる。大学は、教員の就職先を確保するためにだけ存在しているのではない。
それ以上に、日本人はみんな「大学卒」になることが理想、という考え方は絶対に間違っている。それよりも、就職してから、社会に出てから、もう一度大学に行けるシステムを充実させたほうがよいのではないだろうか。
朝日新聞の記事は、教育社会学者の東京大学教授・小林雅之氏の次のようなコメントで結ばれている。
「能力や意欲のある若者の進路が居住地の環境で限られるのは社会の損失だ。大学整備は、もっぱら私学に依拠し、大都市集中につながった。家計負担軽減には給付型奨学金の充実が急務。地方の短大や専門学校の活用も有効だ」
筆者であれば、小林教授のコメントを次のように変えるだろう。
「能力や意欲のある若者をきちんと見抜いて、大学へ行きたいなら大学へ、就職に活路を見出したい人には就職が見つかるような社会にするべきだ。大学整備は文部科学省の利権を離れてもっと緻密な審査によって厳選すべきだ。家計負担軽減には意欲ある若者だけに提供する給付型奨学金の充実が急務。短大や専門学校がきちんと若者のために機能しているかも中止する必要がある」
少なくとも、大学進学率が40%未満だった、青森、岩手、大分、宮崎、鹿児島の各県が、大学進学率をあげるためだけの方策を実施することだけは、止めてほしいものだ。どの県も、その指標だけではない魅力あふれる県ではないか。
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