業界歴35年の放送作家として「バカヤロウ」と一喝したい〜「ほこ×たて」にはなかった「やめる勇気×想像力」
高橋秀樹[放送作家]
2013年10月29日
「バカヤロウ!俺の大好きなテレビに、また傷つけやがって」
テレビ局の喫茶店で思わずそう叫んでいた。
少し声が大きすぎたのか周りの人が振り向いたので、恥ずかしかったが、恥ずかしがっている場合ではないと思い直した。「ほこ×たて」の話をしていたのである。やらせの背景にはテレビ局と下請けプロダクションのいびつな関係もあるだろう。しかし、僕が大きな声で怒りたいのは作ったディレクターの資質である。
「ほこ×たて」という番組が着地した時、僕は「フジテレビは偉いなあ」と思った。この手の企画は今まで何度も出ていて、それを編成マンが読んだときに恐らくこういわれて退けられ続けてきたのだ。「これ、対決のネタずっとありますかねえ」それを、明日なき戦いになるのを分かってフジテレビは着地させた。そこが偉いと思ったのである。明日なき戦いをしているうちに大化けするかもしれない。そこに賭けた。こういう賭けをする気持ちこそが新たな企画を生む原動力になってきたことは経験則上確かである。
しかし、その時、同時に覚悟しなければならないのは、「番組をやめる覚悟」だった。「無理してネタをこねくりだすようになったらやめましょね」という相互理解をテレビ局と制作現場は持たねばならなかった。やらせをやめる勇気を持つのは当然のことだが、「番組をやめる勇気をもって」スタートしなければいけない番組であることに誰も気づいていなかったのか。これは、テレビマンの想像力の問題だ。
テレビマンはいつしかクリエイターなどと呼ばれるようになったが、そのクリエイトする能力(創造力)の前に持たなければならないのはイマジネーションする能力だ(想像力)だ、想像する力がないからこんなやらせをするのである。ちょっと考えてみればすぐわかるだろう。このやらせは、関係者をないがしろにし、皆に反感を買い、現場のディレクター能力のなさを露呈させ、世の中や、テレビを見て下さる方にいやな思いをさせる。満身創痍のテレビにまた傷をつけてだれが得をするというのか。
僕は、番組の責任者はディレクターだと考える。作るのはディレクターだからだ。この問題においては、プロデューサーも編成マンもテレビ局の管理者も、責任をまぬかれるものではないが、そんな人に何を言われても「やらせはできない」と主張するのがディレクターである。
その主張が受け入れなければ、やめる自由を持っているのもディレクターである。もし、やらせを強要される雰囲気の中で番組作りが行われており、それをディレクターが拒否できないのだとしたら、ディレクターはそのしがらみからできるだけ早く抜け出したほうがいい。僕の想像力では、そのしがらみの中ではろくなディレクターにはならないし、ついていく価値のあるスタッフではないから。