<漫画『がきデカ』の面白さって何だ?>『がきデカ』以前・以後ではギャグ漫画のココが違う

エンタメ・芸能

高橋維新[弁護士]
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『がきデカ』(週刊少年チャンピオン・1974〜1980)というギャグ漫画がある。「山上たつひこ」の一大傑作である。
筆者の見立てでは、ギャグ漫画の世界に(舞台喜劇仕込みの)「ツッコミ」という手法を大々的に導入した初めての漫画であるように思う。これ以前のギャグ漫画は、赤塚不二夫の作品群に典型的だが、「ツッコミ」があまり為されていないからだ。
これは、シュールを気取って敢えてツッコミを廃したというよりは、単にツッコミという手法に十分に自覚的でなかっただけではないか?と筆者は考えている。
『がきデカ』はおもしろい。非常におもしろい。特に、単行本の4巻以降からぐっとおもしろくなる。
小学生だった筆者は、この漫画を父から買い与えられ、弟と一緒にページがばらけるまで読みふけった記憶がある。台詞を諳んずることができるようになったほどだ。『がきデカ』が筆者に与えた影響は、良い意味でも悪い意味でも非常に大きかった。それこそ、それ以降に読むギャグ漫画全てを『がきデカ』と比較してしまっていたように思う。
未だに、筆者の中で、『がきデカ』を超える笑いを与えてくれた漫画は存在しない。中学生になってから出逢った「吉田戦車」は、惜しいところまでいったが、それでも『がきデカ』を超えることはなかった。
『がきデカ』の単行本は、26巻まで出ている。ところがその最終回は、全然最終回らしい内容にはなっておらず、通常回と同じような1話読み切りのエピソードが展開されているだけである。「いつでも再開できるように」という編集部の要望があってこういう終わり方をとったらしい。
実際にこの最終回を読んだ筆者も、これが最終回だとは信じられず、というか『がきデカ』が終わってほしくないという思いもあって、「27巻を本屋で探したり」したものである。もちろん、あるわけないのだが。

「『がきデカ』をもっと読みたい」

この思いは、10年余り後に実現する。小説家に転向して漫画の世界からしばらく遠ざかっていた山上が、38歳になった「こまわり君」を主人公に『中春こまわり君』の連載を始めたのである。
この『中春こまわり君』もおもしろいのだが、『がきデカ』とは違う種類のおもしろさであった。期待に胸躍らせながらこれを読んだ筆者には何とも言えない喪失感が去来したものである。
余談だが、山上が人気絶頂の中で突如『がきデカ』を描かなくなったのは、『がきデカ』が自分の描きたいものとは(比較的大幅に)乖離していたからであるという。
『中春こまわり君』の方は、山上が描きたいものにより近いと思われている。作品を読む限り、山上は自分の好きな「哺乳類」と「国内の観光地」をもっと前面に押し出して、『中春こまわり君』のようにもっと衒学的で、『喜劇新思想体系』のようにもっと汚穢な漫画を描きたいのである。
以前別稿で書いたが、山上たつひこが描くから「全てがおもしろい」わけではないし、『がきデカ』だから全ての話がおもしろいわけではない。おもしろさには当然「波」がある。
だから、「山上たつひこが好き」という言説は十中八九嘘であるし、「『がきデカ』が好き」という言説も全く芯を捕らえていない。本来は「『がきデカ』の○巻の○話が好き」だろう。もちろん、厳密に言えば、こういった表現でさえ不正確である。
極限まで細分化して、

「『がきデカ』の○巻の○話の○頁の○コマ目でこまわりがやっているギャグが好き」

・・・とまでいかないと、正しい主張にはならない。でもここまでやると、他人との会話が成り立たなくなるので、皆一定の範囲でバクッと妥協しているのである。
とはいえ、これは理論の話であり、人の頭の使い方はもっと単純である。『がきデカ』だからおもしろいわけではないし、山上たつひこが描くからおもしろいわけではないのだが、『がきデカ』ならばおもしろいだろうとの当て推量で『がきデカ』を買い漁り、山上たつひこが描いているなら間違いないのではないかとヤマを張って山上作品を読む。
全く未知の作品に触れて大外れを引くよりは、常に正しいとは限らないとはいえこうやって多少予防線を張っておいた方が間違いが少なくなるような気がする。しかし、これはあくまで「気がする」だけであって、自分が信じた『がきデカ』や山上たつひこに裏切られることもしばしばある。
『中春こまわり君』はある意味でそんな裏切りのひとつの例であった。一回裏切られても、それでも『がきデカ』や山上たつひこを信じてしまうのは、未知の作品がおもしろいかどうかの判断に頭を使いたくないというよりは、無意識に刷り込まれた作品や作者自体に対する愛着からの感傷だろう。
この感傷が、なんというか、人の人たる所以なので、どうやってなくすかを考えるよりは、どうやってこれとうまく付き合うかを考えた方が建設的である。
過日筆者は、『中春こまわり君』のほかに、未読の『がきデカ』作品があることを知った。連載終了から9年を経た1989年、少年チャンピオン誌上で12回分だけ、『がきデカ』の連載が復活していたのである。この時の連載作品は『がきデカファイナル』という単行本にまとまっており、最終回もきちんと最終回らしい内容になっている。
正直、本連載時の『がきデカ』も、20巻代に入ると徐々におもしろさが減退していた。『中春こまわり君』からくる不安もあった。それでも『がきデカ』と山上作品に対する愛着を捨てきれなかった筆者は、感傷からこの単行本を買ってしまった。安くはなかった。
読んだ感想はまあ言わずもがなであるが、こういう愚行が筆者の、というか人間の人間らしさを支えているのである。同じ愚行を、筆者は吉田戦車でも繰り返しており、とうに昔のキレを失った戦車作品を、筆者は未だに買い続けている。
それでもいいと思えるのは、それが人間だからである。
 
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