大河ドラマ「いだてん」ビートたけし演じる古今亭志ん生にいくつかの危惧

テレビ

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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NHKが2019年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の新キャストに古今亭志ん生役としてビートたけし(70)を起用すると発表。本人が11月29日、会見に臨んだ。
あるネットニュースによれば、たけしは開口一番、「どうも日馬富士です」と、この日、引退届を日本相撲協会に提出した横綱・日馬富士を使ったボケで挨拶し、笑いを誘った。
もちろん、この部分はNHKのニュースでは放送されなかった。このあたりがNHKとビートたけしの関係で心配なところだ。このような発言するたけしを使いこなしてこそ、ビートたけしの存在感が際立つというものである。
志ん生役を演じることについて、ビートたけしは真面目な顔で、

「うれしくてしょうがない。志ん生さんは国宝みたいな人」
「ほかの仕事はほとんどプレッシャーを感じないが今回ばかりは感じる」

それ以外にも、「志ん生さんは、破天荒な人生と言われていますが、実はすごく勉強家という、すごい人。落語のイメージは真面目というのはマイナスというところまで計算して真剣に取り組んでいた。尊敬しています」と心境を告白。「(自分の落語と)腕の違いは感じますが、雰囲気は良く分かる」などと、その緊張感を滲ませながら語った。
あまり見たことのないビートたけし緊張の表情である。それは古今亭志ん生がどれだけすごかったのか、たけし自身が同時代に目の前で見ていることからきている訳だが、そのすごさはいくら言葉を尽くしても表現できないのでやめておく。
筆者は放送作家として「オレたちひょうきん族」(フジテレビ・1981〜1989)も担当していたので、今回のビートたけしの起用に対して感じること、想うことは少なくない。
【参考】<ビートたけし、松本人志>芸能界のご意見番化する大物芸能人
老婆心ながら、ビートたけしが古今亭志ん生役を演じることにおいてのいくつかの危惧を書いておく。
古今亭志ん生は晩年(といってもその時点が落語家としてのピークなのであるが)小声で、気張らず、口の中で喋っているような話し方だった。滑舌が悪いのではない。むしろよい。滑舌とは言葉をなめらかに発音する口や舌の動きのことである。口跡はよい。口跡とは言葉づかい、ものの言い方。せりふの言いぶりのことである。滑舌も口跡も良いのになぜ聞こえないかというと音量が小さいのである。
その証拠に残っている録音を聞くと寄席で聞こえないのとは反対によく分かる。志ん生が小さい声ではなすのは作戦だった。聞こえれば中身は面白いのは分かっている。よく聞こえない客は聞き取ろうとしてジッと耳を傾ける。客は噺に集中する。
もちろん、ビートたけしは自分の志ん生を演じれば良いのだが、口跡と滑舌の点で違和感を感じる年寄りの志ん生ファンがいるかも知れない。
たけしは、芝居であってもリハーサルをしない一発目の演技が面白い。リハーサルをすればするほど面白くなくなる。しかし、ほかの役者はリハーサルなしでは出来ない。そのあたりの折り合いをつけるのはNHKの演出家の仕事である。
「いだてん」は同局の連続テレビ小説「あまちゃん」をヒットさせた人気劇作家の宮藤官九郎のオリジナル脚本である。ビートたけしが最も苦手なのは他人が作った言葉を喋ることだ。脚本のセリフを自分なりに変更することをNHKはどこまで許容するか。
さらに気になるのは、NHKが「落語『東京オリムピック』を披露しながら、主人公の金栗四三と田畑政治が繰り広げる物語をナビゲートする」としていることである。
セリフは大丈夫になるにしてもナビゲートとはどういうことだろう。このナビゲートがたけしのナレーションでの物語展開を意味しないことを筆者は祈る。たけしが人の書いたナレーションを上手に読むことを、筆者は想像できない。
 
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